相米慎二 その軌跡
1948年1月13日、岩手県盛岡市で生まれた。父親の転勤で6歳の時に北海道標茶町に転居し、1958年に父親を失う。その後小学校5年の時に札幌市、中学3年の時に釧路市に移る。北海道釧路江南高等学校を卒業し、中央大学文学部に進学、1972年同大を中退、長谷川和彦の口利きで契約助監督として日活撮影所に入所した。長谷川や曽根中生、寺山修司の元で主にロマンポルノの助監督を務めた。助監督時代には杉田二郎のペンネームも用いている。1976年にフリーランスとなる。1980年、薬師丸ひろ子主演の「翔んだカップル」で映画監督としてデビューした。翌1981年、「セーラー服と機関銃」で興行的な成功を収めた。1982年6月、長谷川和彦、根岸吉太郎、黒沢清ら若手監督9人による企画・制作会社「ディレクターズ・カンパニー」(ディレカン)を設立。1983年には吉村昭原作の「魚影の群れ」を発表。
1985年の「台風クラブ」は第1回東京国際映画祭(ヤングシネマ)でグランプリを受賞し、キネマ旬報「オールタイムベスト・ベスト100」日本映画編(1999年版)の55位にランクインしている。同年、斉藤由貴の映画デビュー作となった「雪の断章―情熱―」を監督した。また、同年のロマンポルノ作品「ラブホテル」は大きな反響を呼んだ。
その後、1993年の「お引越し」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。同作は第46回カンヌ国際映画祭のある視点部門に出品された。翌1994年には湯本香樹実原作の「夏の庭 The Friends」を発表。湯本に原作小説を執筆するように勧めたのも相米監督であった。1998年の「あ、春」は1999年度キネマ旬報ベストテンの第1位に選出されたほか、第49回ベルリン国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した。2001年、小泉今日子主演の「風花」を発表。一方で、1985年より数々のCMの演出を手がけ、また1991年と1993年には三枝成彰作曲のオペラ「千の記憶の物語」の演出を担当している。
2001年10月には舞台初演出となる「Defiled」の上演、また翌2002年には自身初の時代劇での監督作品となる浅田次郎原作の「壬生義士伝」の映画化作品のクランクインを予定していたが、2001年6月、体調不良のため病院で検査を受けて肺癌を告知され、同年8月中旬より療養生活を送り、同年9月5日に容体が急変して9月9日16時10分に神奈川県伊勢原市の病院で死去した。53歳没。同年1月公開の「風花」が遺作となった。葬儀は9月14日に築地本願寺にて営まれた。没後は青森県三戸郡田子町相米地区にある先祖代々の墓に埋葬され、同地区には「相米慎二慰霊碑」が建立された。
フィルモグラフィ
- 1980 翔んだカップル
- 1981 セーラー服と機関銃
- 1983 ションベン・ライダー
- 1984 魚影の群れ
- 1985 台風クラブ
- 1985 ラブホテル
- 1986 雪の断章 ―情熱―
- 1987 光る女
- 1990 東京上空いらっしゃいませ
- 1993 お引越し
- 1994 夏の庭 The Friends
- 1998 あ、春
- 2001 風花