ippo2011

心のたねを言の葉として

華厳をめぐる話     司馬遼太郎

 ところで、写真家井上博道氏は、幼いころから上司海雲氏に親しみ、長じては境内を歩きつくし、東大寺の一塵一露まで愛してきた人なのである。

(中略)

 青木が編集のしごとをしている窓から、銅ぶきの龍大図書館の緑青の大屋根がみえる。

 香住の田舎からきた学生は、ある時期、毎日のように払暁前にその大屋根にのぼっていたらしい。この学生は、その大屋根から国宝唐門の内側を見おろすのである。

 唐門は、透かし彫りの彫刻でできあがっているために、昇りそめた陽光が唐門の表に当たるとき、透かし彫りのすきまから光が針のようにほそくするどく裏側につきとおる。その瞬間を、この学生は大屋根から撮るべく幾日も通っていたという。

                    (『十六の話』より)

船が水面にたゆたっている光景   ソロー

船が水面にたゆたっている光景   ソロー

 

 

 

 二人の男たちが乗ったスキッフ・ボートとこの近くですれ違ったが、そのボートは木々を映している水面にたゆたっている。空中に漂う羽毛のように、あるいは小枝から離れた葉が、ひっくり返りもせずに静かに水面に落ちつつあるかのように、動きを止めて、自然の法則に任せてかすかに漂っている。このように彼らがたゆたっている光景は、自然の哲学のなかで展開される美しさを、巧みに具現している。私たちの目には、鳥が空を飛び、魚が水中を泳ぐのと同じく、人間が船を漕ぎ進めることは芸術の域に達しているように思える。人間のあらゆる行動は、さらに高尚で崇高なものにすることができるはずだ、という点に思い至る。私たちは人生のすべての面で、芸術作品や自然に劣らない程度に美しく優雅にやりおおせることができるのではあるまいか。

                 (『コンコード川とメリマック川の一週間』ソロー 仙名 紀訳)

ノーマライゼーション    一歩

ノーマライゼーション    一歩

 

 

 私の勤務する中学校には、授業中に、自慰行為をしてしまう男子生徒がいます。
 彼のIQはとくに低いわけではありません。教師の言葉は理解できますが、授業にはほとんど参加せず、妄想にふけり、奇声を発したりして周囲の生徒を驚かせたりします。もちろんノートはとりません。ノートをとろうねと注意すれば、書き始めますが、1分と続きません。性的なことに対する執着が強く、小学校では授業中に性的な言葉を発して、授業を混乱させるということが頻繁にあったということです。中学ではそれはほとんどなくなりました。しかし、思い通りにならないことがあったり、強いストレスにさらされると、他の生徒がいる授業中に、自慰行為を始めます。
 この生徒は、注意欠陥多動性障害(AD/HD)、広汎性発達障害アスペルガー)、などいくつかの診断が下されています。本来なら、特別支援学級に進み、彼のような生徒をサポートしてくれる環境で力を伸ばしていく方がいいのですが、普通学級にいます。普通学級で学習したいという本人と親の意思を尊重することが第一に求められているためです。

 ノーマライゼーションという言葉があります。障害を持った人も健常者も一緒に生きていくという社会福祉の理念です。わが国では、1993年(平成5年)にノーマライゼーションの思想に基づき障害者基本法が制定されました。学校でもこの理念に立ち、教育活動が進められています。しかし、ノーマライゼーションを実現するためには、サポートする人、施設設備の改善、法的な整備などまだまだ不十分なことが多いのが現実です。
 ノーマライゼーションの名のもと、AD/HD、アスペルガーなどの障害を持った子どもたちへの教育が現場の教師の新たな課題として突きつけられるようになったのは、10年くらい前のことです。
 今私たちは、授業中にぼーっと外を見ている子どもを頭ごなしに怒れないことがあります。その生徒がAD/HDであれば、授業中のよそ見は障害のためだからです。そんな生徒が授業に集中できるように、その授業の目標や流れを視覚化して把握させること、時間の区切りを明確にすること、そして個々の能力に応じたきめ細かな指導が求められます。
 授業中に自慰行為をしてしまうような生徒は特殊な例です。私の勤務校でも彼だけです。しかし、程度の差はともあれ、AD/HDやアスペルガーなど教師の指示を一回で理解できない、周囲の生徒とコミュニケーションがうまくとれない生徒は各クラス4,5人はいます。

 ノーマライゼイションを学校で実現するためには、まず教師を増やすことです。各授業に最低二人の教師が必要です。
 そして、イギリスの「特別な教育的ニーズコディネータ-(SENCO)」のような、特別支援のためのスタッフが必要です。障害を抱えた生徒をどのように指導していくか、その生徒にあった特別な指導計画を考えていく、特別支援のためのスタッフです。
 特別支援のスタッフは、専門的な立場から、その生徒の障害の中身を診断し、指導計画を立てます。そして、その指導計画の共通理解を担任、副担任、保護者、本人とではかりつつ、担任、副担任、教科指導の教師がチームとなって指導計画を具体化します。このような流れで、特別支援の生徒が普通学級で他の生徒と一緒に学習を進められれば、きめ細かい指導が可能になるでしょう。
 しかし、特別支援のスタッフの計画を2次、3次と修正しても、指導がうまくいくとは限りません。そうなったときは、養護学校など専門的な教育機関への転学も検討しなければなりません。それは、特別支援のスタッフと、地域のソーシャルワーカーが判断していくことになります。このスタッフは、校内の支援体制を調整するだけでなく、外部教育機関、福祉・医療機関との連携をはかっていくことも役割に含まれます。
 このように、通常の指導が困難と判断される特別支援の生徒が出た場合、その生徒の指導を特別支援のスタッフが引き受けるという制度を作る必要があります。

 教員の数を2倍に増やし、特別支援のスタッフを各学校に常駐させること。これだけでも、かなりの人とお金が必要です。
 しかし、日本の公的な教育予算は、欧米に比べてかなり低いものとなっています。OECDの調査「公財政教育支出の対GDP比(2006年)」     http://www.oecdtokyo2.org/pdf/theme_pdf/education/20090908eag.pdf
によれば、GDP比は欧米の5%に対し、日本は3.3%にすぎません。
 
 普通学級の特別支援について長々と書きましたが、公立の小中学校が抱えている問題の一端をおわかりいただけたかと思います。しかし、学級には、知的障害や情緒障害の生徒の他に、心臓やぜんそくなどの健康面の不安をもっている生徒、リストカットしている生徒、家庭が不安定な生徒、警察のお世話になっている生徒など様々な生徒がいます。一人ひとりの抱えていることを解決していくためには、それぞれの専門分野からのサポートが必要です。

 そして、学力の問題。基礎学力の定着と、より高い次元の知的能力の向上。文系、理系のあらゆる分野に対応できる、多様で、専門的な教育を実現するために、「人」「お金」が どれくらい必要なのか。私は、特別支援のケースの2倍から、3倍は必要かと思います。

 


 ノーマライゼーションの導入が、「生徒たちのツケ」となっているのではないか。それは、現実として、否定できません。「~ちゃんと違うクラスにしてください。」そんな声が学校に寄せられるれることもあります。

 ノーマライゼーション導入にあたり、私たちも「人」の増加、「施設」の向上、「法」的な整備を求めました。しかし、「特殊教育」から「特別支援教育」に変わり、学校教育法や学校教育施行規則は改正されましたが、教師の人数は増えませんでした。特別支援の学級はそれまでの特別教室をつぶしてつくる、これが今全国どこの小中学校でも行われています。

 文化省は、特別支援教育推進のために、「特別支援教育コーディネーター」を置くこととしましたが、これも教員が増えたわけではありません。学校内の誰かが、それまでも仕事に加えて、「コーディネーター」になっているというのが現場の姿です。

 学校教育の改善には、人を増やし金をかけることが必要です。こどもたちは勿論、教師にとってもゆとりのある環境が大切です。

 

2011年8月

中学校サッカー部の指導について   一歩

中学校サッカー部の指導について   一歩


「愛球人さんへの返事」


 愛球人さんから、と質問をいただきました。しかしながら、ほとんどの中学校の部活のレベルは、愛球人さんの質問に答えられるようなものではありません。愛球人さんの質問の答えにはならないかと思いますが、現状を少しまとめます。
 中学校のサッカー部の指導者となって30年、強いチームも、弱いチームもありました。全国大会出場などという華やかな戦績はありません。U-15で地区選抜になった選手は何人かいますが、Jリーガーになった選手はいません。高度な技術を持ち、戦術を理解しながら創造性あるプレーを見せてくれる選手などほんの一握りです。夢はJリーグ選手と多くの子どもたちはいいますが、全市レベルの大会に進むことさへままならず、予選で敗退していくのが子どもたちのほとんどです。
 私は、全くの素人だった選手が技術的に向上し、サッカーに夢中になっている姿を見るとうれしくなります。今私が教えているチームは、わずか12人という部員数です。その中で小学校からの経験者は6人ですから、ほとんど勝つことは難しい弱小チームです。しかし、そんなチームがたまに点を取ったり、いい内容のゲームをすれば、これがまたこのうえない喜びとなります。



 中学校の部活動ですから、いろんな子どもがいます。小学校時代にクラブチームで勝利第一のサッカーがいやになって部活動に入った子もいれば、運動は苦手でも体力の向上を願って入部してくる子もいます。学校教育の一環として位置づけられている部活動ですが、基本的には任意の団体です。指導者も基本的にはボランティアです。私は、普段の日はほとんど部活につくことはできません。授業を終えたあと、放課後にはほとんど会議や委員会活動などがあり、その後は、校務の処理、学級事務、授業の準備など自分の仕事があるからです。熱心な指導者は、自分の仕事を後回しにして、部活動にまずつきます。そんな人は、部活動が終わった後の夜7時すぎから授業の準備などを始めるので学校を出るのは夜の9時を回ることになります。私は体をこわしてから、自分の仕事を先にするようになりました。夜の7時には学校を出るようにしています。練習につきたいのにつけない、授業も部活も中途半端、といったジレンマを多くの教員が抱えていると思います。
 そんな私ですから、部活動につけるのは土曜、日曜などの授業のない日です。指導の中身は多岐にわたります。ゴールデンエイジを抜けて基本の習得が大切な時期にさしかかっていること、相手が受けやすいパスを出すこと、成長期の基礎体力向上のトレーニング、華麗なボレーシュートより確実なインサイドキックのシュート、チームのために走ること、ラインディフェンスとスイーパーシステムの違い、第3の動き、体の向き、勝ってもダメな試合、負けても内容のある試合、人として成長すること、勝とうという強い意志、サッカーを楽しむことなどなど。愛球人さんご指摘の戦術面の指導はサッカーで教えることの一つですが、それは他の指導項目と有機的につながって生きるものだと考えています。



 私はトレセンのスタッフのような指導はできませんが、サッカーの基本、楽しさ、厳しさ、体を動かすことの喜び、仲間がいることの大切さを知ってほしいと思ってやってきました。愛球人さんの質問に答えられるような高度なサッカーとは程遠いものですが、たとえ弱いチームでもサッカーの楽しさを感じられる毎日であってほしいと思っています。
 しかしそんな私でも、子どもたちの全体的なサッカーの技術、戦術は確実に上昇していると実感しています。キックandラッシュのサッカーチームが全市を勝ち抜いてしまうこともあったような時代から考えると、今の子どもたちのサッカーのレベルは雲泥の差です。ドーハの悲劇から16年、日本代表が世界との差を縮めた試合を見せてくれました。サッカーのこのようなレベルアップに、日本サッカー協会の審判員育成システムの貢献は大きいと思っています。
 この30年の間に、芝のグランドも増えました。私のいる制令指定都市でも、人工芝を含めれば、10面は超える施設が整ってきました。しかし、イギリスでは、ロンドン市だけで芝のグランドが100面あると聞いたことがあります。日本のサッカー文化はまだまだ後進国です。



 私はサッカーが好きなので、こんなにも永く部活動の指導者を続けてこられたと思っていますが、私自身も45歳以上のシニアのサッカーチームを作ってたまに遊んでいます。一方、35歳以上のカテゴリーにも兄弟チームがありますが、そこにはかつての教え子が中心となってやっています。
 シニアのサッカーが本格的になったのもこの10年のことです。私は、社会体育としてスポーツのすそ野がさらに広がっていくことを願っています。部活動中心のスポーツには限界があります。どうしても3年間で閉じられてしまう制度、人的、物的、金銭的制約など課題はたくさんあります。地域に根ざした、社会体育の拡充に、国や自治体の支援は欠かせません。アマチュアからセミプロまでつながっていく審判のシステムを作ることもその中に入ってくると思います。

『カンダハール』     関川宗英

カンダハール』     関川宗英

                    2002年の日記から

                           

 

 

 『カンダハール』は果たして西欧側の映画なのか。それとも、アフガニスタンの内実を訴える映画なのか。
 アフガニスタン空爆を正当化する映画なのか。地雷で足をなくした妻に、ぴったり合う義足を持って帰ろうとする愛と平和の映画なのか。
 
 2001年10月、アメリカのブッシュ大統領が『カンダハール』を見たいと、当時この映画が公開され始めたフランスから英語字幕付きのプリントをホワイトハウスに取り寄せた。ブッシュは、この映画の何を見たかったのだろう。ブルカに抑圧された女性たちだろうか。あるいは、銃を手に学ぶ神学校の子ども達の姿だろうか。「テープレコーダーを捨てろ」という言葉に象徴されるタリバンの圧政だろうか。
 それとも、「あの石仏は破壊されたのではない、恥辱のあまり自ら崩れ落ちたんだ」と語ったマフマルバフのメッセージだろうか。バーミヤンの石仏を破壊したタリバンは国際社会から非難されていたが、マフマルバフは長い間国際社会がアフガニスタンを見捨ててきたことを「恥」と糾弾する。世界の富の59%を所有しぶくぶく太ったアメリカは、その「恥」の中心に位置する。
 
 おそらくブッシュの目に『カンダハール』は、アメリカの国益のそうものだったのだろう。今年の1月、アメリカで『カンダハール』は公開された。日本でも1月19日だったかに公開となった。折しも、東京で「アフガン復興会議」が開催される直前だった。『カンダハール』の日米同時公開と、「アフガン復興会議」の開催は、勿論偶然ではないだろう。
 日米公開の前、ニューヨークのコロンビア大学の「9月11日の犠牲者を悼む集会」で『カンダハール』が上映された。マフマルバフはアフガン難民キャンプの教育の現状を訴えているが、そんな彼のメッセージもアメリカのリベラル派を、“タリバン追放そしてアフガン復興”というストーリーに巻き込むことに一役買ったに違いない。
 
 
 

 『カンダハール』を観終わって、何か物足りないもの、中途半端な印象を持った。それは、国際社会から見捨てられた人々のために撮影されたとコピーにもうたわれたこの映画が、ブッシュの目にもかなうというところにあるのだろうか。ユネスコの職員たちからも、敗走したタリバンの兵士たちからも支持されるものを『カンダハール』は持っている。
 
 「世界貿易センターの二棟の高層ビルは誰が破壊したのでもない、恥辱のあまり崩れ落ちたのだ。」とマフマルバフの言葉をもじって細見和之は書いている。その一方で、細見は、映画『カンダハール』が全く別のコンテキストにおいて見られる可能性を指摘している(「図書新聞2570号 細見和之 理性の光を取り戻すため」)。
 
   合衆国による空爆が現に実施され、タリバン政権が「崩壊」した現在、
   この映画はまったく別のコンテキストに置かれている。とりわけ合衆国
   においては、タリバンの抑圧性をいち早く「告発」した映画として、あ
   たかも合衆国による空爆を正当化するものとして「鑑賞」される可能性
   をも内包しているのだ。このような途方もない転倒をはらんだ力学のた
   だなかで、いま『カンダハール』が上映されているということを、ぼく
   らは忘れるわけにはいかないだろう。(同論文より) 
 
 『カンダハール』はいかなる映画か。西欧側の視点から作られたものか、羊の糞を拾い集めて燃料にしているアフガンの人々の視点か。それは、あくまでも観る側の問題だ。監督の意図がどうであろうと、明らかなメッセージが込められていようと、観てしまった以上その映画とどう決着をつけるかはこちら側の問題だ。マフマルバフが商業的な計算もあって、あえて両面的な観方が可能な、「途方もない転倒をはらんだ力学」の映画を作ったとしても、ともかく観てから先は、こちらの「これから」にかかっている。
 
 今、タリバンが崩壊して、アフガニスタン復興計画が進みつつある。マスメディアにのって届くものは首都カブールのものばかりだが、国際支援団体と、金と、物資がカブールに集まっている。音楽を聴けるようになった、映画が観られるようになった、女性が学校に戻り始めたと、「新しいアフガニスタン」をマスメディアは伝える。
 しかし、まだまだ復興への道のりは遠いようだ。
 
 ドルの流入により既に国内通貨市場は混乱しており、価格が大幅に変動している。
 「急に101もの外国団体がやってきて、家を借り、カーペットを買い、ペンキで塗るなどして、全ての物価が跳ね上がった」、とカブールに本拠を置く『セーブ・ザ・チルドレン』の開発アドバイザーは言う。
 同団体のカブール事務所の家賃は9月11日以前は月500ドルであったものが、1月には6000ドルにもなり、別の場所への移転を余儀なくされた。(中略)
 ドルの流入と政治的楽観主義の復活が相俟って、現地通貨アフガニも9月11日以前の1ドル7万アフガニから3月には35,000アフガニにへと急激に強くなった。(後略)    〔2002年3月22日 BBCニューズ〕
 
 マフマルバフや主演のニルファー・パズィラは、『カンダハール』の公開にあわせて、世界を回った。今年の冬には日本にも来た。NHKにも出た。彼らの精力的な行動が、アフガンの復興に結びついていることは確かだ。アフガンの教育への援助を根気よく訴え続けるマフマルバフにとって、このBBCニュースのようなアフガンの混乱は予想していたことだろう。ペシャワール会の中村医師のように、元気よくまた映画を作って欲しいと思う。
 
 しかし、ブルカは美しかった。
 あの美しさは、銃より大切なものではないだろうか。
 この日本にいて『カンダハール』の、その最良の観方は、ブルカの美しさに感応することかもしれない。

『草のそよぎ』 天野忠

『草のそよぎ』 天野忠

 

時間という草のそよぎに頬っぺたを吹かれているような老年。ヴァレリーが云ったように神は無からすべてのものを創り出したのだから、人間の材料も無から成り立っているわけで、老年も幼年も青年も、すべて無であるというわけだ。草のそよぎというような無の情感は、老年の無をやさしく撫でていく。暖簾が揺れているのは無が無と遊んでいるような風景であろうか。

山田洋次とメディアリテラシー   関川宗英

山田洋次メディアリテラシー   関川宗英

 

 

 

撮影所システムの監督 山田洋次

 山田洋次は、松竹に入社以来、松竹大船撮影所のみで仕事を続けた。同撮影所の閉鎖後は松竹京都撮影所に移る。撮影所を拠点とし、「山田組」とよばれる固定したスタッフや常連の俳優を使って映画を作ってきた。

 撮影所システム(スタジオ・システム)はアメリカのハリウッドにおいて確立される。サイレントからトーキーへの流れは、資本の増加を伴った。つまり、映画を作ることは多大な金がかかる事業を意味するようになった。映画は、近代的な企業の資本の投入を受け、巨大な映画産業として発展していくなか、撮影所システムは出来上がっていった。

 日本において撮影所システムができあがるのは、1930年代である。日本もアメリカ同様に、監督からスタッフ、俳優もスターから端役に至るまで専属であった。各映画会社には、売れっ子のスターがいて、そのスターを目当てに観客は映画館に足を運んだ。1958年には映画人口が11億人を突破するなど、映画は娯楽の殿堂として不動のものとなる。

 山田洋次は1954年に大学を卒業して松竹に補欠入社する。そして、1961年、監督デビュー作、『二階の他人』をつくる。山田洋次は、日本映画の絶頂期に映画界入りした。

 しかし、テレビの普及に伴い映画人口は激減、映画館数も1970年には半減する。1970年代になると、映画産業の斜陽によって各社は軒並み自社の撮影所を貸スタジオ化し、独立プロやテレビドラマ、CFの撮影もできるようにした。一方、専属スタッフや俳優も解雇していく。撮影所システムは崩壊していくことになる。

 21世紀の今、現存する日本の映画撮影所は、東宝スタジオ、松竹京都撮影所、東映京都撮影所、東映東京撮影所、日活の日活撮影所など数えるほどしかない。その中にあって、山田洋次は撮影所で映画を作り続け、2010年の『京都太秦物語』まで82本の映画を作る。

 「山田洋次」という作家性を語るなら、それは撮影所が映画の宝庫であった幸福な時代の延長線上に位置する。山田洋次は、日本映画の黄金期を源泉とする、撮影所システムの、最後の映画作家かも知れない。

 

映画の文化的価値

 山田洋次を企業内監督と批判する向きもある。退屈なメロドラマを作り続ける松竹の中にあって、「庶民をユートピア的に賛美する」映画を作り続けたと明治大学院教授四方田犬彦は切り捨てる(『日本映画史100年』四方田犬彦)。しかし、この冬の新文芸座の「山田洋次監督映画祭」は期間中ほぼ満員であり、場内は連日のように笑いに包まれた。その笑い声は、昭和へのノスタルジーなどという揶揄を払いのける。映画を巡る饒舌はつきない。

20世紀を刻んだ映画は、今も人々を楽しませる。一方、映画を娯楽とは違った視点から見る人もいる。民俗学、歴史学、ある人は比較文化学…、またこれから先、多くの人が映画を娯楽とは違った見方で見ていくだろう。

ところで、映画は20世紀の人々を「戦争」に駆り立ててきた、という事実もある。アメリカ、ドイツ、そして日本…、世界の多くの国々は映画をプロパガンダとして利用してきた。映像の持つ力は、何億という人を一度に、いとも容易く騙す。映画が権力と結びつき、20世紀の悲劇を生んできた。

今私たちは、映画やテレビなどの映像メディアを受け身ではなく、批判的に受け取り、自らの判断で情報を選択する力(メディアリテラシー)が求められている。

 

高度情報化社会とメディアリテラシー

映画をいかに見るか。映像メディアの氾濫する今、いかに情報を読みとっていくか。高度情報化社会といわれる今を生きる私たちには、メディアリテラシーという新しいスキルが必要不可欠である。

学習指導要領は、明確にメディアリテラシー教育をうたっていない。メディアリテラシーの考えは、「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し、伝え合う力を高める」いった表現に表れていると言えなくもない。また、インターネットの利用や携帯電話の使い方、著作権など情報モラルとしての学習を指摘することも可能だ。

しかし、現代社会に氾濫する情報メディアは、私たちの生活全般への影響にとどまらず、「情報化による生活世界の再編」という新たな現代的な課題を投げかけている。情報メディアは、社会構造、文化的内容をも規定する装置として機能している。

なぜなら、「わたしたちは、情報メディアが作り出す環境(メディア環境)がもたらす情報の網の目の中で、そして、情報メディアによって評価され方向付けられる傾向のある社会文化の中で、否応なくメディアに依存して生活している。」(『変わるメディアと生活』児島和人/橋元良明)からであり、さらに、

「メディアは、世界の出来事をありのままわたしたちに伝えるのではない。さまざまな事象を特定の視座から切り取り、一定の意味を付与してわたしたちに提示する。現在、わたしたちが構成する認知的世界は、こうしたメディアのフレームに基づいて形成され、また話題にのせるテーマ自体が、メディアによってすでに用意された議題リストに上がっているものの中から選ばれる。」(同上)とも言える。新たな情報技術が日進月歩で進化する情報メディアは、実態として社会の各領域に浸透し、社会的にも文化的にも大きな影響をもたらす装置として機能しているのである。

そのような映像メディアに囲まれた、高度情報化社会を生きている私たち。その社会の中でこれからさらに生きていく子どもたち。今、必要なスキルとは何なのか。学習指導要領のどの切り口からメディアリテラシーを実践できるか、考えていきたい。