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心のたねを言の葉として

「胃袋からの属国化」がもたらした令和の米騒動――飢えない未来のため私たちは何をすべきか 東京大学大学院特任教授・鈴木宣弘

「胃袋からの属国化」がもたらした令和の米騒動――飢えない未来のため私たちは何をすべきか 東京大学大学院特任教授・鈴木宣弘

 

www.chosyu-journal.jp

 

 

生け贄にされてきた食と農

 

 「令和の米騒動」がなぜ起き、なぜ収まらないのか。その理由を考えると、米国による戦後の占領政策に遡る。戦後の日本は、米国の余剰農産物を消費させるため、コメ以外の農産物関税が一気に撤廃させられた。それにより日本の麦やトウモロコシは一度壊滅したが、それでもまだ「日本人がコメを食べていると米国の小麦が胃袋に入れられない」と問題視し、慶應大医学部教授に「コメを食べるとバカになる」という本まで書かせてベストセラーにした。

 

 日本人の食生活を改善するという名目で、その実、日本の農業を弱体化させ、米国の農作物に依存しなければ生きていけないようにする。「胃袋からの属国化」――これは東京大学名誉教授で経済学者の故・宇沢弘文先生がシカゴ大学におられたさい、知人から直接聞いた話だという。

 

 この占領政策によって、日本ではコメの消費が減っていく流れがつくられた。その後、徐々に農業生産が回復し、増産できるようになると当然コメが余る。生産調整せざるを得なくなり、それをやり過ぎたために今回ついにコメが足りないという事態に及んだ。

 

 もう一つの流れは、米国の思惑を利用した経産省中心の経済政策である。米国を喜ばせるために食料・農業を生け贄として差し出し、その代わりに自動車輸出でもうけて、食料は安く輸入すればいい――それが日本の食料安全保障であり、経済発展だと考えた。ところが今回の米騒動とトランプ関税で、この経済政策も最終局面を迎えてしまった。

 

 日本の差し出すリストに残っているのは、コメぐらいしかないという状態になり、米国が突きつけてきた自動車関税25%の脅しに屈してコメ輸入枠を拡大。まさに「盗人に追い銭」交渉である。コメは日本人の生命の要。切ってはならない最後のカードを最初から出して土下座するなら交渉にはならない。これによって、これから毎年60万㌧のコメを米国一国から必ず買わなければならなくなった。日本最大のコメ産地である新潟県の年間生産量(59万㌧)よりも多い量だ。

 

 では、その見返りとして自動車は利益を得たのか? さも頑張ったかのように演出した報道とは裏腹に、現実は25%関税で脅されたものを15%に下げてもらっただけだ。これまでの自動車関税が2・5%だったことを考えると全部とられたに等しい。泥棒にお金を出して許しを請うたのだから当然の結末だ。これに米国は味をしめ、「日本はいつでも自動車で脅せばいくらでもむしり取れる」という構図になってしまった。

 

 今回の米騒動は、この米国の思惑と完全に一致した。「コメが足りないから輸入するしかない」ということで、輸入米を増やすストーリーができてしまった。

 

 さらに米騒動を解決できない大きな要因が、財務省の予算配分だ。米国からいわれたものは何でも買う。ミサイルやオスプレイなど、まともに飛ばない武器の在庫処分のために100兆円規模を出す。トランプ関税で日本が買うことを決めたボーイング社の航空機100機も在庫処分だ。

 

 そのくせ緊縮財政だから、米国への支払いのためにどこかの予算を切らなければいけない。その対象として一番切りやすいのが農水省予算だ。財務省で一番出世するのは主計局で、なかでも最も出世しやすいのは農林担当だという。農水省が一番いうことを聞かせやすく、予算をたくさん削減できるから実績が上がるのだ。最も国民の命にかかわる予算をそのような対象にしか見ていない。

 

 農水予算の推移をみても、1970年代は防衛予算のほぼ倍の約1兆円(総予算に占める割合12%)あったものが、50年以上たった現在(2023年)、総予算は14倍になったにもかかわらず、農水予算はわずか2・3兆円(1・8%)。防衛予算は10兆円規模にも膨れ上がっている。

 

 どう考えても、命を守るのは武器ではない。食料とそれを生み出す農業だ。その予算だけが歪に減らされている。こんなことをしていたら農業は持続できなくなり、食料自給率は下がる。そういう中で私たちは世界情勢の悪化に直面した。

 

 立民と公明が「新党」視野、15日にも党首会談…政権批判票の受け皿狙い野田氏提案・参院は両党を残す方向    2026/01/14

立民と公明が「新党」視野、15日にも党首会談…政権批判票の受け皿狙い野田氏提案・参院は両党を残す方向


2026/01/14 読売新聞

 

 

 立憲民主党公明党衆院選に向け、新党結成を視野に調整していることが14日、わかった。立民の野田代表と公明の斉藤代表が15日にも会談し、詰めの協議を行う見通しだ。中道改革の政治を掲げる両党は選挙協力を模索しており、新党結成で政権批判票の受け皿を作る狙いがある。

 複数の両党関係者が明らかにした。両党の構想では、新党は衆院に限り、参院では両党を残す方向だ。


 新党結成は野田氏が提案し、公明側が検討してきた。斉藤氏は14日、支持母体・創価学会の会合で「新党結成に向けて立民と手続きに入りたい」との方針を伝えた。斉藤氏は15日の党中央幹事会で一任を取り付けたい考えだ。野田氏はすでに常任幹事会で一任を取り付けているが、15日に両院議員総会を開き、所属議員から意見を聞く。


 両党の選挙協力を巡っては、比例選での統一名簿方式での協力案も協議の対象となっている。

 野田氏と斉藤氏は12日の会談で「より高いレベル」での選挙協力を模索することで合意していた。

 

前橋市長に小川氏の再選確実 ホテル問題、辞職出直し     2026年01月12日

前橋市長に小川氏の再選確実 ホテル問題、辞職出直し
2026年01月12日 19時54分共同通信

 


 前橋市長選は12日投開票の結果、市職員(退職)とのラブホテル面会問題で辞職して出直し立候補した無所属前職小川晶氏(43)が、自民党国会議員らの支援を得た弁護士丸山彬氏(40)ら無所属4新人を破り再選を確実にした。ホテル問題の逆風を乗り越え、市長在任1年9カ月の市政運営が一定評価された形だ。
 市によると、任期は13日から、1期目の残り2028年2月まで。
 小川氏は立憲民主、国民民主両党の市議らから支援を受けた。選挙戦でホテル問題を陳謝しつつ、給食無償化に取り組んだと在任中の実績をアピール。保守層の一部や無党派層を取り込み、支持を広げた。
 丸山氏は、ホテル問題で市のイメージが悪化したとし、市政刷新の必要性を強調。自民の群馬県議や自民系市議会2会派も支援に回ったものの、届かなかった。選挙事務所で支援者らを前に「全ては私の熱量が足りなかった」と述べた。
 元前橋市議店橋世津子氏(64)=共産推薦、元同県みどり市議海老根篤氏(78)、農業高橋聡哉氏(66)は、支持が広がらなかった。

 

戦争をリアルにイメージできない「幸運」な日本に、イラン出身者が伝えたいこと    2022年03月10日

戦争をリアルにイメージできない「幸運」な日本に、イラン出身者が伝えたいこと
2022年03月10日(木)17時20分
石野シャハラン

 

www.newsweekjapan.jp

 

<長く平和を享受してきた日本人が、ウクライナのような戦場の悲惨さや理不尽さを実感できないのは当然。ただ、だからこそ平和が続くよう努力する必要がある>

 

しばらく前に、筆者と同じくイラン出身で同年代の女性と日本人を交え、それぞれの子ども時代の話をしたことがあった。日本の人は当時はやったアニメや消しゴムの話をしていたが、イラン出身の彼女は私にボソッと「私たち偉かったよね、頑張ってたよね」と言った。「小学生の頃1年間くらい学校が閉鎖されて、ずっとテレビの授業を見ながら家で勉強していたじゃない? サイレンが鳴ると防空壕に避難して。覚えているでしょ?」

彼女にそう言われるまで、私は長い間その頃のことを思い出すこともなかったが、確かにそういう生活だった。私が小学校低学年の頃、生まれ育った首都テヘランはイラン・イラク戦争の真っただ中だった。

子どもだったので、つらかったとか怖かったとかいう記憶はあまり残っていないというか、そういうふうに思う余裕がないほど追い詰められた生活だった。ただ、同級生が避難していた地下室の真上に爆弾が落ちて、家族ともども焼け死んでしまって悲しかったことを強烈に覚えている。

ロシアがウクライナに侵攻してから、祖国を守るため銃を持って戦いに志願する若者や中年のウクライナ人の姿が報道されている。

それを見た私の親しい日本人は「英雄的、美しい生き方で涙が出る。戦い抜いて生きて戻ってきてほしいと思う。でも心の底では理解できない。戦争には命をささげる価値があるのか? 自分には命を懸けて戦うような何かがあるのか? だって日本では子どもが先に死んだら親が悲しむし、何が何でも逃げなきゃと思う。でもウクライナでは戦うことが英雄視される、逃げられない。それってキツいよね」と本音を漏らした。

 

他国が攻めてくることが現実にあり得る
ウクライナと同様、イランも大国がせめぎ合う場所に位置する。今日は平和でも、明日の朝起きたら自分の住む街が他国の戦車部隊に包囲されている、ということが起こり得る。そうなったら戦える年齢の者は全員銃を渡されて戦わなければならない。あの辺りの人々はそれが当たり前だと思って暮らしている。そのために徴兵制度があり、青年は平時でも入隊して銃の扱い方を覚え、戦い方をたたき込まれる。

私も経験したが、兵役を終えたことを証明するカードの裏にも「このカードは平和な時のみ有効であり、戦争およびその他の動員時にどのように奉仕するかはその際に決定される」と書かれている。つまり、兵役を終えた人もずっと兵士であると認識されていて、有事にはいつでも招集されるから覚悟していなさい、ということである。

 

日本人にも、いつでも国のために戦う! と威勢のいいことを言う人がいる。だがそういう人に限って、自衛隊や警察に所属したこともなく、銃の扱い方一つも知らない。私の以前の職場でも「いつでも戦争してやるぜ」と言い放った人がいて、私はつい「あなたに戦争の何が分かるんだ、軽々しく言うんじゃない」と怒鳴ってしまい、職場をシーンとさせてしまったことがある。

だが、70年以上の長きにわたって平和を享受してきた日本人には、人生の夢や目標があっても有無を言わさず戦いに動員され、個人的には何の恨みもない敵と撃ち合って殺されてしまう理不尽さが理解できなくて当然である。理解できないこと自体がとても幸せなことであるとも思う。

 

ただそれでも、日本人がもっと心に留めたほうがいいと思うことがある。平和であることは当たり前ではない、得難い幸運で素晴らしいことであり、日々平和であることに感謝し、平和を維持するために努力しなければならない、ということだ。

平和は日本人が思うよりもずっともろいものであり、ほんの小さな選択の誤りや不運によって瞬く間に消え去ってしまうものなのだから。

 

toykyoeye_ishino_profile_w100.jpg石野シャハラン
SHAHRAN ISHINO
1980年イラン・テヘラン生まれ。2002年に留学のため来日。2015年日本国籍取得。異文化コミュニケーションアドバイザー。
YouTube:「イラン出身シャハランの『言いたい放題』」
Twitter:@IshinoShahran

 

昔の日本の政治家はアラファトと握手したのに、いまの政治家はネタニヤフと握手する

「昔の日本の政治家はアラファトと握手したのに、いまの政治家はネタニヤフと握手する ―変節してはならない日本のパレスチナ政策」

 

宮田律 FBより

 

https://www.facebook.com/media/set?vanity=miyataosamu.jp&set=a.26069878345930613&locale=ja_JP


女優の宮澤エマさんは高校生時代に、祖父で、首相、外相などを務めた宮澤喜一氏にパレスチナ問題について質問すると、喜一氏はパレスチナ暫定自治政府議長のヤーセル・アラファト氏と握手すると、彼の手は柔らかかった、これどういう意味かわかる?と返したそうだ。それは、彼はもう軍人ではなくなっていたからだよと喜一氏は説明したという。


 イスラエルを訪問しても、パレスチナ自治政府関係者と面会しないで、イスラエルのネタニヤフ首相と握手した小野寺五典氏らとは対照的なエピソードである。ジェノサイドを犯したネタニヤフ首相を握手し、その様子が世界に発信される外国の政治家は米国のトランプ大統領と小野寺氏ぐらいしか知らない。


 宮澤喜一氏がアラファト議長と握手したのは、1993年にオスロ合意があり、パレスチナ自治政府への支援を日本に要請するために、2回目の来日をした1996年あたりだろうか。
 アラファト議長は1982年にイスラエル軍レバノンに侵攻して、PLOがレバノンから離れざるを得なくなるまでイスラエルとの武力闘争に従事していた。イスラエルや、イスラエルを支援する米国はアラファト氏のことを「テロリスト」と呼んでいた。それでも日本は1981年にアラファト氏の初来日を実現させるなど、米国に同調しないパレスチナ政策を明らかにしていた。
 欧米諸国やイスラエルが用いる「テロリスト」という言葉にはご都合主義的な響きがある。現在、ガザ住民の7万人以上を殺害したネタニヤフ首相がハマスに「テロリスト」という言葉を使うのは言語道断な気がするが、欧米諸国はアパルトヘイト体制崩壊後に南アフリカの大統領を務めたネルソン・マンデラ氏のことも「テロリスト」と形容していた。
 アラファト議長は、「難民を自由の戦士に変える」と言って、ヨルダンやレバノンなどイスラエル周辺諸国パレスチナ解放闘争に従事していた。その当時、彼と握手すれば、宮澤氏が言うようにゴツゴツした武骨な硬い手をしていたかもしれない。
 宮澤氏は 1976年の外相時代、国連安保理決議242号の履行とともに、パレスチナ民族自決権を含む合法的な権利の承認が平和に不可欠であるとの立場を表明した。また、首相在任中の1992年には、中東和平交渉の多国間協議において、日本が環境部会の議長国を務めるなど、パレスチナを含む中東地域の安定に向けた役割を担った。日本は、イスラエル占領下のパレスチナ住民に対し、国際機関を通じた食糧援助や技術協力などの支援を継続した。宮澤氏は、中東和平の重要性を認識する日本の政治家の一人だった。


 宮澤氏は手帳に日本国憲法の条文を挟んでいつもポケットに入れるなど、護憲派の政治家で、戦後日本の平和主義を重視していた。
 政界引退後に起きたイラク戦争についてもTBSテレビの「時事放談」で疑義を呈し、次のように述べている。(2004年4月4日放送)
「この戦争そのものには色々問題がある。第一、大量破壊兵器というものは発見されていないし、それから、9・11というものとサダム・フセインとは直接関係がないということもどうやらはっきりしているし、安全理事会では決を採らないで勝手にどんどん先に行ってしまって、おまけに先制攻撃をしたわけですから、それらには問題があるんだ、ということを私は言おうとしているわけです。だから、なかなかよその国がついてこない、ドイツとか、フランスとかの立場がそういうことになるわけなんで・・・」
「戦争そのものはできたかもしれないけど、『戦争後』ということは最初から分かっているわけだから、アメリカ1国ではできないことが分かっているのに、俺がやるからみんな見てろ、といったような、そういうことではやはりうまくないな、ということだと思う」


 そのイラク戦争を支持した小泉純一郎首相の政治手法にも反対する見解をテレビなどで明らかにしていた。宮澤氏は、小泉氏が郵政民営化に反対する自民党議員を「造反組」として公認せず、刺客候補を送り込んだ手法について、「小泉氏は政党というものを壊してしまった」「一種のポピュリズムだ」と郵政解散についてもやらないほうがいいと述べていた。また、小泉首相靖国神社参拝についてもアジア諸国との対話を重視する立場から慎重な行動を求めた。


 宮澤氏は、軽武装・経済重視という「吉田ドクトリン」を継承し、経済成長を重視し、軍事的な影響力拡大よりも、国際協調や平和的な外交手段による問題解決を優先する考えをもっていた。宮澤氏は自民党ハト派の派閥「宏池会」を率いたが、その「宏池会」を継承した岸田文雄元首相は、安倍元首相など自民党内のタカ派と歩調を合わせ、防衛費倍増、反撃能力の保有などの政策を採るようになった。


 特に安倍政権以降、自民党タカ派的傾向を強める中で、イスラエルの軍事技術の獲得を望むようになり、小野寺氏がネタニヤフ首相と握手するなど、自民党パレスチナ政策も変節するようになっている。もちろん、それでよいわけがなく、パレスチナなどアラブ世界の人々が日本に対して敬意をもっていたのは、宮澤氏が重視した経済重視、平和外交のほうで、宮澤氏のような考えがかつて自民党では有力であったことを、自民党をはじめ日本の政治家たちにはよく思い起こしてほしいと思う。

 

【政界地獄耳】イスラエルから武器購入 問われる政治家のスタンス    2026/1/10

【政界地獄耳】イスラエルから武器購入 問われる政治家のスタンス

2026/1/10 日刊スポーツ

 

★9日の東京新聞1面、「イスラエルから241億円の武器を購入 政府『集団殺害問題視せず』」こそがこの問題のポイントだ。ガザ地区で国際犯罪を犯し続け、日本も加盟するICC国際刑事裁判所)が逮捕状を出しているイスラエルベンヤミン・ネタニヤフ首相との対応や距離について、日本の政治家のスタンスが問われている。超党派の議員でイスラエルから招待を受けた訪問団団長の自民党安全保障調査会会長・小野寺五典は出発前空港で「レーザー、無人機、AI、ドローンといった最先端の技術、イスラエルは実戦に即した技術を持っているので、そういう技術について意見交換をしたい。安全保障戦略の中でその知見を生かしていきたい」と買い物宣言。

★小野寺と会談したネタニヤフは「戦争中支えられた」と謝辞を述べ「実用性が高い知見を収集し日本もいかす」と応じている。8日、共産党政策委員長・山添拓はXに「ジェノサイドの実績を買おうということ。ちゅうちょもなく、なぜこれほど酷い振る舞いができるか」と記した。ただ、参加した有志の会の福島伸享はブログに「イスラエル初日。今回のツアーに同行してくれている在日本イスラエル大使館のアサフ・セゲヴ公使と意見交換。激論を交わした。私たちの訪問団はイスラエル政府からの招待によるものだが、日本の超党派国会議員団として、説明されることをうのみにすることなく、私たちなりの意見を述べあった」としている。また福島やれいわ新選組副代表・多ケ谷亮らはすべての視察に自民党と同行したわけではない。

★8日、れいわ幹事長・高井崇志は会見で多ケ谷が参加していたことについて「寝耳に水。ガザ虐殺への非難をほかの党以上に最も強く訴えてきたと自負している。大変残念だし、怒りを覚える」としたが、実際には自民党から最初に声をかけられたのは高井。自民党議員が言う。「高井が断ったのでウチから多ケ谷を誘っていいかと打診した。高井も知らぬはずもない」。事態は深刻だとみるべきだろう。(K)※敬称略

 

それを自衛だと言っても通りませんよ。戦争になりますよ

(新ポリティカにっぽん)「後藤田の諫言」が問うもの

早野透桜美林大教授・元朝日新聞コラムニスト

2014年6月17日10時18分



海部俊樹首相(左、当時)と話し合う後藤田正晴・元官房長官=1991年3月15日、衆院本会議場



 大学で教師をしている身にとって、4月から6月ぐらいは新1年生を迎えて新鮮な気持ちになる季節である。高校を出たばかりの18歳、私はジャーナリズム論を教えているから、「これからは新聞を読んで、社会のことにも関心を持ってね」とこのごろの安倍政権のことも話題にする。むろん偏向しないように気をつけながら。

 そんな授業のさなか、「はーい、先生」と手が挙がった。いったい何かしらと聞くと、「アベさんってだれですか」と言うのである。そうか、アベさんって総理大臣のことだって知らない子もいるんだね。みんなすなおでいい子たちだけれども、スマホの世界で育ってくるとそんなものかもしれない。

 いまの大学生はみんな平成生まれ。バイトに追われ就活も苦しいことが多いけれど、何はともあれ平和な平成の世に生まれ育っている。さほどニュースに関心をもたなくても生きていけるというのは、それはそれでいいことなのかもしれない。

 しかし、このたび成立した国民投票法では、18歳から投票権を持てるようにするそうである。安倍さんはいずれ憲法9条の改正を俎上(そじょう)に載せて投票してもらおうという心積もりだろう。それなのに、18歳があんまり無関心でも困る。憲法とは何かぐらいは知ってもらわねばなるまい。新聞記者から転身した新米教師ではあるけれど、こりゃなかなか教えがいがあるなあと思った次第である。

 

■導火線は「湾岸戦争のトラウマ」

 過日、テレビ朝日報道ステーション海部俊樹元首相が出演して、1991年の湾岸戦争のことをしゃべっていた。イラククウェートを侵攻、それに対してアメリカを中心とする多国籍軍が反撃した戦争である。ぼくらは湾岸戦争といえば、日本が130億ドルものお金を出したのにちっとも感謝されずにがっかりしたあの戦争ねとピンとくるが、いまの大学生にとっては生まれる前の話である。そんな話も噛(か)んで含めるように話さなければ伝わらない。

 当時、首相だった海部さんが言うには、実はそのとき、ブッシュ米大統領はShow the flag(旗を立てろ)、「自衛隊を派遣してくれ、一緒に汗をかかないか」と迫ってきたそうである。海部さんは「憲法9条は交戦権を認めていない。クウェートのために日本がイラクと戦うことはできない。国民が許さない。それが、アメリカが与えた日本の国是ではないか」と断った。しかし、いま安倍さんが夢中になっている「集団的自衛権」の行使を認めれば、日本は戦地への自衛隊派遣を拒めなかったかもしれないと、私には思われる。

 今回の「集団的自衛権」の行使容認論の最大の導火線は、いわゆる「湾岸戦争のトラウマ」である。あのとき金を出すだけでなく人(自衛隊)も出していれば一人前の国家として胸を張ることができたのにという思いが安倍さんや外務省の根底にある。さて、あのときの日本はへっぴり腰でみっともなかったのかどうか。海部さんは、そうではないともうひとつの裏話を披露した。

 「あのとき、後藤田正晴さんがやってきて座って動かないんだ。どんな立派な堤防でもアリが穴をあけたら、そこから水がちょろちょろ出ていずれ堤全体が崩れることになる。アリの一穴をやってはいけないよと言うんですよ」

 そう、はじめはちょっとだけというつもりでいても、次に似たようなことが起きるとこんどもいいかとなり、だんだん拡大解釈されて、いずれ日本は平気で「戦争をする国」になってしまうよという戒めである。振り返れば、戦前のアジア侵略の歴史がそうだった。いま自民党公明党の協議は「きわめて限定した範囲で集団的自衛権を認める」ということならよかろうということになりそうだが、それが危ない。まさに「アリの一穴」の典型になりそうである。

 

■平和を生きる世代に聞くべきこと

 いまの大学生に聞くと、中曽根康弘さんの名前は「総理大臣だった」とクラスで1人か2人は知っている。しかし後藤田正晴さんのことはまったく知らない。

 後藤田さんは、海部さんに「アリの一穴」を戒める前、中曽根内閣の官房長官を長く務めた。そのときの有名なできごとに「後藤田の諫言(かんげん)」がある。

 1987年、イラン・イラク戦争で両国がペルシャ湾に機雷を敷設、これに対し中曽根さんがタンカー護衛のために機雷除去の自衛隊の掃海艇を派遣したいと言い出した。しかし、後藤田官房長官は「それを自衛だと言っても通りませんよ。戦争になりますよ」と諫(いさ)め、絶対だめだと拒否した。「私は閣議決定にサインしませんよ」と念を押した。さしもの中曽根首相もあきらめた。

 のちに後藤田さんにロングインタビューしたとき、なぜ中曽根首相にあえて逆らったか聞いてみた。「憲法上できないということもあるが、国民にその覚悟ができていたかね。できていなかったんじゃないか」と後藤田さんは明かした。それから20年余りたって、安倍首相は、自公協議にコメントして、「極めて限定した集団的自衛権」の範囲に「ペルシャ湾での機雷除去」も含めるべきだと主張している。

 戦争が起きたら、戦地に行くのは安倍さんではない。われわれ昭和生まれの年配者でもない。自分の国が侵されたときならばともかく、他国の戦争にまでしゃしゃりでて、若者に血を流させる覚悟なんて、私たちはとうてい持てない。持ちたくもない。憲法9条を読み返しても、そんな血を流すことを許容するとはどうしても読み取れない。閣議決定で解釈変更などとは勝手すぎる。せめても憲法改正という手続きをとり、未来をになう18歳の若者たちを含めた国民投票によって、ほんとうに「血を流す覚悟」があるかどうかを聞くべきではないか。私は「アベさん」の名前も知らない平和の時代の学生を前にして、そんなふうに思うのである。(早野透桜美林大教授・元朝日新聞コラムニスト)