ippo2011

心のたねを言の葉として

魂を売って、彼は生き延びた

魂を売って、彼は生き延びた

 

 

佐高 そうそう。「壊憲」が勢いを増している原因の一つに、祖父の岸信介という人の存在があると思っています。
 岸信介上杉慎吉の弟子ですね。東京大学には天皇主権説の上杉慎吉と、天皇機関説で有名な美濃部達吉という憲法学の二つの流れがありました。岸はそういう上杉慎吉の熱心な信奉者だったわけですね。明治憲法に戻そうとしているという底流の基礎には、岸の師匠の上杉慎吉という存在があるんじゃないかと、私などは考えるのですが、そのあたりはいかがですか。

 

小林 僕はもっと別の生臭さで考えています。岸さんは当時、東大法学部の二大秀才の一人でしたね。一人は我妻栄で、彼は純然たる民法学者になり、もう一人は岸で、役人になった。
 第二次世界大戦を別の角度から見ると、軍人の責任者は東条英機、文官の責任者は、形式上はナンバー2であろうと、実質的には岸信介です。要するに、岸はスーパー・エリートであることを権力者になることに使ったんだと思う。思想性というよりも先を見据えて、東大では上杉を取ったほうが得だと思って行動したんじゃないかと思います。
 戦争が負けに傾いたとき、岸は東条英機と喧嘩して、いったん田舎に帰ったでしょう。それで反戦派のおじいちゃんに会う。

 

佐高 安倍寛

 

小林 そう。岸は安倍寛とちょっと仲のいいふりをした。それをあえて言えば、もう日本が負けると兵站の責任者として読めたから、保険をかけたんだと思うんですね。
 戦後、A級戦犯容疑者として、めでたく東条英機と一緒に巣鴨プリズンに入れられましたが、東条は絞首刑、一方岸は起訴もされずに出てきた。やがて巡り巡って日本の総理大臣になり、日米安保をつくるわけですが、生きて出てこられた理由は、アメリカのエージェントになったからでしょう。魂を売って、彼は生き延びた。
 だから、そういった意味では、すごく忸怩たるものが彼にはあったんでしょう。

 

(『安倍「壊憲」を撃つ』  小林節 佐高信