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珠洲「何も変わっていない」ほぼ全域で断水続く/1次避難所になお900人 2024/4/12

珠洲「何も変わっていない」ほぼ全域で断水続く/1次避難所になお900人 記者ルポ

2024/4/12 岐阜新聞

 

 【石川=本社・山田俊介、織部俊太朗】能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県珠洲市は、発生から3カ月以上がたった今も市内のほぼ全域で断水が続いていた。家屋が倒壊したまま放置され、いまだ復旧もままならない状況だった。各地の学校や公民館などに点在する1次避難所は縮小傾向にあるものの、現在も住民有志が主体になって運営を支えており、被災者からは「早く生活を立て直したいのに」と切実な声が聞かれた。

◆崩れた家屋連なる

 石川県などによると、市内は震度6強の揺れで住宅計4550棟が全半壊した。特に被害が大きかった宝立町鵜飼地区や正院町は、道をふさいでいたがれきが撤去され、車の対面通行ができるようになっていたが、その両脇で傾き、崩れた家屋が折り重なるようにして連なったまま。元々空き家で所有者が分からず公費解体の手続きが滞っていることや、解体時に粉じんが広がるのを防ぐために必要な散水ができないことなど、複合的な要因が絡んでいるといい、復興への道のりの険しさを感じた。

 避難所での生活も続いていた。親族の家に身を寄せるなど、復旧までの居所が決まったことで市外へ離れる人が増え、珠洲市の1次避難所は1月末時点の44カ所から35カ所(9日現在)に減ったが、現在も計約900人が身を寄せている。

 1次避難所の運営を担うのは、住民有志による自主防災組織。最大約500人がいた正院小学校の避難所は現在、28人にまで減った。一方、市内で完成している応急仮設住宅は約500戸にとどまる。次の居所が決まらない住民がいるため、閉鎖時期を見通せない。

 運営を担う正院公民館長の小町康夫さん(69)は「避難所を必要としている人がいる以上は、住民が力を合わせるしかない」と、有志10人で支援物資の管理や見回りなどに当たっている。宝立小中学校で避難所運営を担う自営業の男性(50)は「路上のがれきがなくなった程度で、暮らし自体はこの3カ月、何も変わっていない。何とかできないのか」と憤る。

◆もう少しの辛抱やと

 自宅が半壊し、現在も避難所で暮らす女性(69)は被災した元日が誕生日だった。時折自宅に戻り、隣人の井戸水を借りて洗濯をする。半壊した住宅は直せば住めるというが、「また地震が来たら…」と考えると、40年近く暮らした住まいを手放す選択肢も浮かぶ。「いつかは決めにゃダメなんだけど、なかなかねえ」。近所に1人で暮らしていた妹は大阪の親族宅へ引っ越し、もう珠洲には戻らないという。

 震災前の穏やかな日常が再び訪れることを願いながらも、まちを歩き、住民に話を聞くたびに、地域が元の通りに戻ることの困難さを痛感した。自宅が全壊し、家族と離れて避難所で生活する女性(79)は「命があるだけありがたい。でも全然、出口が見えてこない」と嘆く。炊き出しの手伝いをしたり、自宅に戻って畑仕事をしたりと気丈に過ごす。「もう少しの辛抱やと思っとるけど」と、懸命に前を向いていた。