メルトダウン事故45年、デブリから今なお強い放射線…米スリーマイル島原発に本紙記者が入る
2024/02/13 読売新聞
商用炉で世界初のメルトダウン(炉心溶融)事故となった1979年3月のスリーマイル島(TMI)原子力発電所事故から45年を前に、本紙記者が廃炉作業中の原発構内に入った。事故が起きた2号機では核燃料の大半が回収されたが、強い放射線を出すデブリが今なお残り、ロボットなどで取り出すための準備が進んでいた。
スリーマイル島原発2号機の原子炉建屋。内部には溶け落ちたデブリが残る(6日、米ペンシルベニア州で)
6日、米ペンシルベニア州を流れるサスケハナ川の中州にある島に入ると、1号機が見えた。事故が起きなかった1号機は2019年まで運転が続けられた。
2号機は、元々の運営会社が買収されるなどの経緯をたどり、20年12月、廃炉ビジネスを手がける米エナジーソリューションズ社へ売却された。TMI原発内部を日本メディアが取材した例はほとんどなかったが、エナジー社は情報公開を重視し、読売新聞の取材依頼に応じた。2号機構内の放射線量は低く、軽装の社員らが行き交っていた。記者も防護服の着用は求められなかった。
地面がコンクリートに覆われた一角が目に入った。「ここには水を蒸発させる設備があった」と担当者は説明した。
東京電力福島第一原発と同様に、TMI原発でも放射性物質を含んだ大量の水が生じ、その処理が問題となった。福島第一原発では昨年8月から約130万トンの処理水の海洋放出が始まったが、TMI原発では蒸発させる方法が採用され、1991~93年に約8700トンが水蒸気として大気に放出された。
2号機の中央制御室内で、事故当時や廃炉作業の状況を説明するエプラー氏
構内の西側から、円筒形の巨大な原子炉建屋が見えた。原子炉内の核燃料約130トンのうち溶けて固まったデブリを含めて99%は、掘削機を挿入するなどして90年までに取り出され、アイダホ州の国立研究所で保管されている。ただ、最終的な処分地は未定という。
残る1%のデブリは原子炉底部などに散らばったままだ。廃炉作業の副責任者、フランク・エプラー氏は「強い放射線を出し、人を送り込むことはできない」と話す。ドローンやロボットを使ってデブリの位置などを調べ、遠隔で切断・破砕する機器の準備や、作業の訓練にも並行して取り組んでいるという。エプラー氏は取材に、「2037年に廃炉を完了させる」との目標を明らかにした。TMI原発での作業は、3基の原子炉で推定約880トンのデブリがあり、41~51年の廃炉完了を目指す福島第一原発より難易度が低い。それでも完了まで事故から約60年を必要とする。「廃炉の困難さを認識した上で、企業と規制当局、地域が力を合わせることが大切だ。福島でも同じだろう」。エプラー氏はそう述べた。
◆ スリーマイル島原子力発電所事故 =スリーマイル島原発2号機の原子炉内が機器の故障や作業ミスで空だき状態となり、核燃料の一部が溶融。微量の放射性物質が外部へ漏れ、周辺住民14万人以上が一時避難した。住民などの健康への影響は確認されていない。