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震度6強 石川・珠洲の住民「原発造らず正解だった」 建設計画に翻弄された過去

震度6強 石川・珠洲の住民「原発造らず正解だった」 建設計画に翻弄された過去 | 河北新報オンライン /
https://kahoku.news/articles/20230519khn000010.html

 

石川県珠洲市を襲った最大震度6強の地震から19日で2週間となった。同市はかつて珠洲原発=?=の建設計画があり、地元住民による反対運動の末に撤回された。近年地震が群発する能登半島。住民からは「原発を造らず正解だった」と安堵(あんど)の声も漏れる。原発計画に翻弄(ほんろう)された現地を歩き、地震大国で原発を立地する難しさを改めて感じた。(報道部・桐生薫子)


かつての原発建設予定地の近くにある須須神社。鳥居が崩れ、地面は陥没している=11日、石川県珠洲市三崎町寺家
珠洲原発]関西、中部、北陸の3電力会社が営業区域を越えた初の広域共同開発として立地を計画。石川県珠洲市三崎町寺家、高屋の両地区に135万キロワット級の原子炉2基を建設する計画予定だった。住民の反対運動で立地可能性調査を中断し、構想から28年後に撤回された。

 コバルトブルーの日本海を望む同市三崎町寺家(じけ)の須須(すず)神社。鳥居が根元から折れ、こま犬が台座から転げ落ちている。周囲では空き家が目立ち、割れた窓ガラスが潮風で音を立てる。

 「この辺りに原発予定地があり、電力会社とにらみ合ったものだ」。そう回想するのは反対運動に携わった元市議北野進さん(63)。「電力や国は『強固な地盤がある』と散々説明していたが…」と憤る。

 計画が浮上したのは1975年だ。半島先端にある同市は企業誘致が難しく、市議会が国に原発建設を要望した。

 「子孫へ負の遺産になる」。北野さんらは推進派の市長と対立し、選挙のたびに反対派候補を立てた。89年、関西電力が立地可能性調査に着手しようとした際は、市役所で40日間座り込んだ。

 93年の市長選では投票者数に対して投票総数が16票上回る混乱も。反対派が起こした訴訟で公正さが疑われた選挙は無効とされ、やり直しとなった。

 2003年、関西など3電力の社長が市役所を訪れ、計画凍結を表明した。反対派が建設予定地の地権者を説得し、一つの土地に複数人の名義を登記する「共有地」を増やして買収を防いだのが効いた。

 地元漁協の反対も大きかった。隣接する富山県では、1960年代にイタイイタイ病が大きな社会問題となり、珠洲産の魚価が下がった。生活に困り生命保険を解約する漁師も出たといい、海洋環境が変わることへの懸念が強かった。

 計画撤回後も地元にしこりが残った。人口流出が止まらず、商店街は寂れ、高齢化が進んだ。「お前らのせいだ」と主張する推進派と反対派の溝は深まった。

 長い争いに終止符が打たれたのは、東日本大震災が起きた2011年3月。東京電力福島第1原発が水素爆発する映像を見た推進派が「原発がなくてよかった」と口にした。北野さんは「皮肉なことに福島の事故があって珠洲原発から卒業できた」と語る。

 原発事故から12年。今月5日、珠洲震度6強に見舞われた。20年12月から続く群発地震の一つとみられる。金沢大の平松良浩教授(地震学)は「原発があったとしても、今回の揺れでは事故が起きるとは考えにくい」と指摘。その上で「今後、地震の活動領域が広がり、珠洲沖の活断層と連動した場合、被害規模はさらに大きくなる可能性がある」と話した。