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心のたねを言の葉として

1939年11月1日 甘粕、満映理事長に就任

1939年11月1日 甘粕、満映理事長に就任

 

 満映本社は新京の洪熙街にある。十一月一日、その表玄関に甘粕の車が着いたのは、午前九時五分前であった。理事長室にはいった甘粕は、定刻九時きっかりに庶務課長を呼んだ。
「重役や部長たちはどうしていますか」
「いつも十時ごろには出てきますが……」という課長に、甘粕は車を出して皆を呼び集めるように命じた。恐る恐る理事長室に集まった幹部たちは、大机を隔てて立つ甘粕の額に深いたてじわを見た。
「足で歩いてくる人たちが九時に出勤しているのに、自動車の迎えを受ける人が時間を励行しないのは間違いです。明日から重役も部長も正九時に出勤して下さい」
 挨拶など一切ぬきで、いきなり幹部を𠮟りつけた甘粕は、次に庶務課長に向って全職員を講堂に集めるように命じた。三年前の会社創立以来たるみ続けてきた内部の空気が、台風の眼のような甘粕を中心に急に騒がしくなった。
 講堂の壇上に立った甘粕の挨拶は、簡単というほかはない短さだった。「私は甘粕正彦です。今度、理事長に就任しましたから、よろしくお願いします」これだけで壇を下りた。

                (『甘粕大尉』 角田房子)

 

加計学園、公立化できないなら千葉科学大は「撤退」 銚子市の検討委初会合で意向表明  2024年4月15日

加計学園、公立化できないなら千葉科学大は「撤退」 銚子市の検討委初会合で意向表明
2024年4月15日 東京新聞

 

 千葉県銚子市の千葉科学大を運営する学校法人「加計学園」(岡山市)が大学の公立化を要望している問題で、銚子市が発足させた検討委員会の初会合が14日、市内であった。学園側が「公立化ができない場合は来年度からの新入生募集停止を考えざるを得ない」との意向を示したことに、委員らは議論が制約されると批判した。(堀場達)

◆「そんな発言は控えていただきたい」
 公立化の可否を判断する委員会は学識者、地元団体の代表ら計10人で構成。8月までに最終案を取りまとめて越川信一市長に答申し、市が方針を決める。
 初会合で、学園側の渡辺良人専務理事が募集停止の意向を示す際、最初は「撤退」と表現。委員から在校生への責任などを問われ、言葉を改めた。矢尾板俊平委員長(淑徳大地域創生学部長)は「議論がかなり制約されることになり遺憾。このような発言は今後控えていただきたい」と苦言を呈した。


◆「定員割れ」…公立化し学費を安く
 大学では入学者が募集定員を下回る状況が続いている。学園側は公立化で学費が安くなり、学生が集めやすくなる見通しを強調。銚子市より人口が少ない自治体で公立大を設置した例を示し、いずれも定員を上回る入学者数を確保していると説明した。
 これに対し、委員は「ほとんどは千葉科学大よりかなり小規模。唯一の例外の都留文科大(山梨県都留市)は教員養成を目的とした大学で、全国から志願者が集まる。これだけでは見通しの根拠が少ない」と指摘。経営状況のデータも不足しているとして、追加で資料を提出するよう求めた。


◆「安くなれば集まるわけではない」
 会合後に記者会見した矢尾板委員長は「少子化が進み、公立化して授業料が安くなれば学生が集まるわけではない。需要ニーズはあるのか、公立化以外の方法もあるかなど論点はたくさんある」と話した。
 初会合は約120人が会場で傍聴し、関心の高さをうかがわせた。

 

2024年度は処理水の貯蔵量を1.8万t減少へ 東京電力が処理水の海洋放出の計画を公表  2024年03月30日

 

東京電力の計画では、2024年度には2023年度の1.75倍となる5万4600tの処理水を放出する。
一方で、一日に100tほどの「汚染水」が発生していて、これを差し引くと2024年度には処理水の保管量を1万8100t、タンクにして18基分減らせるとしている。
東京電力は燃料デブリの取り出しに必要なスペースを確保するためタンクの解体を進める。

 

イラン イスラエルに無人機やミサイルで大規模攻撃  2024年4月14日

イラン イスラエル無人機やミサイルで大規模攻撃
2024年4月14日 NHK

 

イスラエルに向けて複数の無人機を発射”イラン国営メディア

 

イランの国営メディアは、革命防衛隊がイスラエルに向けて複数の無人機を発射したほか、イスラエル各地やイスラエルが占領するゴラン高原にミサイルが発射されたと伝えました。今月4月1日にシリアにあるイラン大使館が、イスラエルによるとみられる攻撃を受け、軍事精鋭部隊の革命防衛隊の司令官らが殺害されたことへの報復だとしています。イランからイスラエルの領土に向けた直接の攻撃は初めてとみられます。

一方、イスラエル軍は、イランが自国の領土からイスラエルに向けて複数の無人機を発射したと現地時間13日午後11時すぎ、発表しました。

これを受けてイスラエルのネタニヤフ首相は「防衛システムが配備されていてどのようなシナリオにも準備ができている。われわれを攻撃する者は誰であろうと攻撃し返す」とする声明を出しました。

イスラエル軍のハガリ報道官は14日、声明を発表しイスラエルに向けて300以上の無人機やミサイルが発射されたとしたうえで「99%を迎撃した」として、攻撃への対処の成果を強調しました。声明では、イランが発射した無人機およそ170機と巡航ミサイル30発以上はいずれもイスラエル領内には到達しなかったとしています。また、弾道ミサイル120発以上のうち、一部がイスラエル南部のネバティム空軍基地に着弾したものの、基地は引き続き機能しているということです。

また、アメリカのオースティン国防長官は声明のなかで「アメリカ軍はイランやイラク、シリア、そしてイエメンから発射され、イスラエルへ向かっていた数十の無人機やミサイルを迎撃した」としています。

エルサレムからの映像では、現地時間14日午前1時45分ごろ、上空を白っぽく光る筋が通過し、そのあと、爆発するような様子が確認できました。また、防空警報とみられるサイレンが鳴り響く様子も確認でき、イスラエル軍によりますと、各地に防空警報が発表されたということです。

イスラエルの救急当局は14日、SNSへの投稿で南部の町アラド近郊で7歳の女の子が重傷を負って治療を受けていて、詳しい状況を警察が調べていると明らかにしました。

今回の攻撃について、イランの軍全体のトップ、バゲリ参謀総長は14日、国営テレビの取材に対し「昨夜からけさにかけて行われた作戦は成功裏に完了し、すべての目的は達成された」とアピールしました。また、革命防衛隊のトップ、サラミ総司令官は「われわれは限定的な作戦を実施した。この作戦はもっと大規模に行うこともできたが、イスラエルがわれわれの大使館を攻撃するのに使った能力と同等のレベルまで抑えた」と述べ、攻撃は抑制的に行ったと主張し、これ以上、攻撃の応酬を望まない考えを示唆したものとみられます。

イランがイスラエルに対し大規模な報復攻撃に踏み切ったことで中東情勢のさらなる緊迫化が懸念され、今後、イスラエルがどのような対応に出るのかが焦点となります。

 

小池百合子氏、水俣病とアスベスト被害者へ“冷酷な裏切り”…平気で嘘をつく政治家の本性

小池百合子氏、水俣病アスベスト被害者へ“冷酷な裏切り”…平気で嘘をつく政治家の本性
文=松岡久蔵/ジャーナリスト

 

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 再出馬を表明した小池百合子東京都知事学歴詐称疑惑に対抗してカイロ大学の卒業証書の原本を公表するなど話題を呼んでいる。小池氏は小泉純一郎内閣での環境相時代(2003年9月~06年9月)のノーネクタイのビジネススタイル「クールビズ」をほぼ唯一の政治的実績とし、代名詞としてきた。ただ、この時期に公害被害者に非常な仕打ちをとり、ウソをついてきた事実は、7月の投開票日の前にもっと知られていい。

 彼女が環境相時代は、大型公害事案への対応が焦点となっていた。まず、水俣病だ。熊本県と鹿児島県から関西に移り住んだ後、水俣病を発症した患者が国と熊本県の責任を問い、損害賠償と謝罪を求めて起こした集団訴訟最高裁判決が2004年に出た。環境省を訪れた原告団に対し、小池氏は官僚のペーパーを感情をまったく込めずに淡々と読み上げ、わずか5分で会見を終了し大きな反発を買った。

 最高裁判決は「水俣病の認定基準を見直す」ことが趣旨だったにもかかわらず、国会で「判断条件を見直す必要がある、このようには考えておりません」と答弁し、政府に対する不信感を著しく高めた。この判例が他の訴訟にまで拡大し、賠償が増えることを防ぎたい官邸と霞ヶ関に小池氏が忖度したわけだ。いうまでもなく、水俣病は日本が引き起こした世界的公害であり、原告が長い苦しみに耐え勝訴した後でさえも国の責任を逃れに荷担するとは、非情の一言に尽きる。

 

小池氏が多用する「崖から飛び降りる」
 さらに、アスベスト石綿)。05年に大手機械メーカー、クボタの尼崎にあった工場の従業員などが中皮腫や肺がんになって死亡し、アスベストが原因と認定された。国に対し、もっと早く規制すべきだったと批判が集まった。それを受け、小池氏は05年11月26日、尼崎のホテルで中皮腫アスベスト疾患・患者と家族の会と懇談会を開いた。

 その際、夫をアスベストで亡くした古川和子さんが「風は追い風もあるが、向かい風もある、一番怖いのは風が止まることだ、風が止まったら自分で走って風を起こせ、それでも駄目なら崖から飛び降りて風を起こすんだ」と大臣の言葉を引き合いに出し、「大臣、崖から飛び降りて風を起こす覚悟で今日来ていらっしゃいますか?」と質問した。それに対し、小池氏は小さく「ハイ」とうなずき、その後、古川さんらに歩み寄り、「古川さん、飛び降りますからね!」と力強く話したという。

 その後の同年11月29日に国会に提出された「アスベスト新法」の法案は、救済額が労災補償に比べて著しく低い給付水準を設定しているなど、被害者の意を汲んだものとはまったくいえない代物だった。被害者と家族が落胆したのはいうまでもないが、翌06年にこの法案が提出された通常国会衆議院環境委員会(1月27日)では、舌の根も乾かぬうちから「崖から飛び降りる発言」を否定した。

田島一成議員(立憲民主党) クローズでの会合でしたから、その会議に参加されていた被害者の会の方の発言を引用させていただくと、別れ際に小池大臣は、がけから飛びおりますからねと言ってくれました、その言葉を信じたいというお話でありました。これは、おっしゃったことは事実ですね。

・小池国務大臣 その発言は、そこにいらした方がおっしゃって、がけから飛びおりる気持ちでやってくださいという御依頼は受けました。私の言葉ではございません。その言葉は別の、選挙の方で使っていたもので、失礼しました。

・田島(一)委員 がけから飛びおりるつもりでやるという、その決意は変わらないです

か。

・小池国務大臣 ですから、私はその言葉は使っておりません。


 被害者の側がわざわざ小池氏についてウソの証言をする理由はなく、小池氏が被害者を裏切る内容の法案を出した手前、自分の発言に身に覚えがないと否定したと考えるのが自然だ。小池氏は12日の再出馬表明の会見でも「崖から飛び降りるつもりでやる」と発言したが、もはやこの言葉に信憑性があるとはとても思えない。

 

弱者を顧みない政治家
 今回ご紹介したように、小池の政治家としてのキャリアから見て、「その時々で都合のいいウソをつく」ことと、「弱者を顧みない」ことは彼女の本質といっていいだろう。

 都知事選をめぐっては、れいわ新撰組山本太郎代表が出馬表明するなど動きが出ている。ただ、残念ながら小池都知事の再選は確実視されており、この流れはよほどのことがない限り、変わりそうにない。小池氏は12日の会見で任期中の国政復帰を否定したが、新型コロナの補償問題や東京都の財政再建が今後の課題となるなか、それはウソでないことを信じたい。

(文=松岡久蔵/ジャーナリスト)

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珠洲「何も変わっていない」ほぼ全域で断水続く/1次避難所になお900人 2024/4/12

珠洲「何も変わっていない」ほぼ全域で断水続く/1次避難所になお900人 記者ルポ

2024/4/12 岐阜新聞

 

 【石川=本社・山田俊介、織部俊太朗】能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県珠洲市は、発生から3カ月以上がたった今も市内のほぼ全域で断水が続いていた。家屋が倒壊したまま放置され、いまだ復旧もままならない状況だった。各地の学校や公民館などに点在する1次避難所は縮小傾向にあるものの、現在も住民有志が主体になって運営を支えており、被災者からは「早く生活を立て直したいのに」と切実な声が聞かれた。

◆崩れた家屋連なる

 石川県などによると、市内は震度6強の揺れで住宅計4550棟が全半壊した。特に被害が大きかった宝立町鵜飼地区や正院町は、道をふさいでいたがれきが撤去され、車の対面通行ができるようになっていたが、その両脇で傾き、崩れた家屋が折り重なるようにして連なったまま。元々空き家で所有者が分からず公費解体の手続きが滞っていることや、解体時に粉じんが広がるのを防ぐために必要な散水ができないことなど、複合的な要因が絡んでいるといい、復興への道のりの険しさを感じた。

 避難所での生活も続いていた。親族の家に身を寄せるなど、復旧までの居所が決まったことで市外へ離れる人が増え、珠洲市の1次避難所は1月末時点の44カ所から35カ所(9日現在)に減ったが、現在も計約900人が身を寄せている。

 1次避難所の運営を担うのは、住民有志による自主防災組織。最大約500人がいた正院小学校の避難所は現在、28人にまで減った。一方、市内で完成している応急仮設住宅は約500戸にとどまる。次の居所が決まらない住民がいるため、閉鎖時期を見通せない。

 運営を担う正院公民館長の小町康夫さん(69)は「避難所を必要としている人がいる以上は、住民が力を合わせるしかない」と、有志10人で支援物資の管理や見回りなどに当たっている。宝立小中学校で避難所運営を担う自営業の男性(50)は「路上のがれきがなくなった程度で、暮らし自体はこの3カ月、何も変わっていない。何とかできないのか」と憤る。

◆もう少しの辛抱やと

 自宅が半壊し、現在も避難所で暮らす女性(69)は被災した元日が誕生日だった。時折自宅に戻り、隣人の井戸水を借りて洗濯をする。半壊した住宅は直せば住めるというが、「また地震が来たら…」と考えると、40年近く暮らした住まいを手放す選択肢も浮かぶ。「いつかは決めにゃダメなんだけど、なかなかねえ」。近所に1人で暮らしていた妹は大阪の親族宅へ引っ越し、もう珠洲には戻らないという。

 震災前の穏やかな日常が再び訪れることを願いながらも、まちを歩き、住民に話を聞くたびに、地域が元の通りに戻ることの困難さを痛感した。自宅が全壊し、家族と離れて避難所で生活する女性(79)は「命があるだけありがたい。でも全然、出口が見えてこない」と嘆く。炊き出しの手伝いをしたり、自宅に戻って畑仕事をしたりと気丈に過ごす。「もう少しの辛抱やと思っとるけど」と、懸命に前を向いていた。

 

「あの日 昭和20年の記憶」4月11日 (NHK出版) 藤子不二雄A(漫画家)当時11歳

「あの日 昭和20年の記憶」4月11日 (NHK出版)
藤子不二雄A(漫画家)当時11歳

 

この日は、富山県高岡市から新潟県境に近い山崎村に疎開していた。7時くらい、お宮さんでラッパを鳴らすと、僕らの村の小学生が一緒になって、20分かけて学校へ。校門の前に何十本も縛って置いてある竹を木刀で100回くらい「米英撃滅」と言いながらどんどん叩く。それをしないと中に入れない。6年生になると、先生がみんなに竹槍を作らせる。切ってきた竹の先端を斜めに切ってそこに油を塗って焼くと、非常に硬くなる。講堂でその槍でみんないっせいに突く練習をする。

 

 山がすぐ近くにあって、学校から全校生徒が山へ山菜を採りに行く。いっせいに散らばり、採り始めるが僕は山菜どころか、山に登るのも大変で、どこに何があるのかさっぱりわからない。でも、ザックをいっぱいにしなければ、学校に帰れない。僕がオロオロしていると、以前に僕がメンコにボスの似顔絵を書いてあげたガキ大将たちが、自分たちが採ったたくさんの山菜を分けてくれた。ガキ大将だが、そういう優しい面もあったことがすごく印象に残っています。(抜粋)