ippo2011

心のたねを言の葉として

1939年11月1日 甘粕、満映理事長に就任

1939年11月1日 甘粕、満映理事長に就任

 

 満映本社は新京の洪熙街にある。十一月一日、その表玄関に甘粕の車が着いたのは、午前九時五分前であった。理事長室にはいった甘粕は、定刻九時きっかりに庶務課長を呼んだ。
「重役や部長たちはどうしていますか」
「いつも十時ごろには出てきますが……」という課長に、甘粕は車を出して皆を呼び集めるように命じた。恐る恐る理事長室に集まった幹部たちは、大机を隔てて立つ甘粕の額に深いたてじわを見た。
「足で歩いてくる人たちが九時に出勤しているのに、自動車の迎えを受ける人が時間を励行しないのは間違いです。明日から重役も部長も正九時に出勤して下さい」
 挨拶など一切ぬきで、いきなり幹部を𠮟りつけた甘粕は、次に庶務課長に向って全職員を講堂に集めるように命じた。三年前の会社創立以来たるみ続けてきた内部の空気が、台風の眼のような甘粕を中心に急に騒がしくなった。
 講堂の壇上に立った甘粕の挨拶は、簡単というほかはない短さだった。「私は甘粕正彦です。今度、理事長に就任しましたから、よろしくお願いします」これだけで壇を下りた。

                (『甘粕大尉』 角田房子)