ippo2011

心のたねを言の葉として

甘粕は〝日本帝国にとって大切な溥儀〟の護衛に全力を注いだ

 砂糖に群がる蟻のように、溥儀に会いに来る旧臣たちを、甘粕はニベもなく追い返した。こうした甘粕の行為を、溥儀はやはり権勢欲、または物欲から出たものと眺めたであろう。だが溥儀の想像のように甘粕に多少とも私欲があれば、のちに〝満州の甘粕〟と恐れられた勢力は持ちえなかったと思われるし、反面もっと楽に世渡りができただろう。溥儀はかつて甘粕のような男に出会ったこともなく、人間の中にそういう種類もあるということを想像もできなかったであろう。
 栄達を狙って相争う旧臣たちの中心にいる溥儀自身も、清朝復辟に烈しい意欲を抱き、とにかく皇帝になりたかった。彼はその特殊な生い立ちの中で、人を信じない人間になっていた。側近にさえ本心を率直に示そうとしない。これは、血統以外に帝位に通じるカードを持たぬ弱者の溥儀の保身術であり、処世術であった。多分に後天的なものであろうが、この陰湿な溥儀の性格は、甘粕とは対照的である。甘粕は〝日本帝国にとって大切な溥儀〟の護衛に全力を注いだが、彼に対して人間同士の好意を抱いたとは想像できない。

 

(『甘粕大尉』 角田房子)

 

中国の古都・南京が日本軍に占領されたことは、満州にいる四千万の漢民族にとって悲しいことなのです

 この勝報に日本中が湧き立ち、旗行列と歓呼の声が全土を埋め尽くした。この情景は満州でもくりひろげられた。新京では、関東軍が協和会首都本部に旗行列と祝賀国民大会開催を指令し、早朝から狩り出された漢人、満人たちは小旗を持って、大同公園まで行進させられた。零下二十五度の寒気の中に立って、彼らは日本人と声を合わせて万歳を三唱しなければならなかった。
 この日、甘粕は暗い表情で武藤にいった。
「中国の古都・南京が日本軍に占領されたことは、満州にいる四千万の漢民族にとって悲しいことなのです。その悲しい時、漢民族をひっぱり出して、慶祝の行列をさせるのは大きな間違いです」
 甘粕が大衆の感情を察して、関東軍のやり方や行政のあり方を批判することは、珍しいことではなかった。この時も武藤が聞いたのは、その批判と、漢民族の悲しみに対する同情だけであったが、実は旗行列を眺める甘粕自身が、深い悲しみを抱いていた。

 

(『甘粕大尉』 角田房子)

 

「ここで事故が起きたら死ぬしかない」…島根原発を抱える衆院島根1区補選で「再稼働」が問われている 2024年4月7日

「ここで事故が起きたら死ぬしかない」…島根原発を抱える衆院島根1区補選で「再稼働」が問われている


2024年4月7日 東京新聞

 

 16日告示の衆院島根1区補欠選挙では、原発稼働も焦点になっている。この選挙区は推進派の代表格だった故細田博之氏の地盤で、中国電力が8月の再稼働を見込む島根原発松江市)がある。ただ、先の能登半島地震では住民避難の限界が露呈。その中で行われる補選は細田氏の後継に加え、脱原発を主張してきた元職が出馬を予定する。推進派の牙城で能登の教訓がどう判断されるか。各地の脱原発派も注目する。(曽田晋太郎)


◆集落が散らばる道の先に、島根原発を見た
 島根県庁や国宝松江城がある松江市中心部から車で30分ほど。市街地のにぎわいとは打って変わり、のどかな田園風景が広がる。
 距離にして10キロ弱。海沿いに点在する集落を通り過ぎると、だんだんと道幅は狭くなり、山肌が切り立つ。落石注意を呼びかける看板が立ち、所々ひびが入った道をさらに進むと、山の中腹から開けた視界の先に巨大な建屋が見えた。日本海に臨む島根原発だ。
 その島根原発の2号機は今、注目を集めている。中国電力が8月に再稼働させる計画だからだ。定期検査で2012年から停止中だが、21年に原子力規制委員会の審査を通過。22年には丸山達也知事が再稼働に同意した。今年5月に安全対策工事を完了させる想定だ。
 そうした中、今年の元日に能登半島地震が発生。いくつもの道路が寸断され、多数の集落が孤立した。震源に近い北陸電力志賀原発でもし、深刻な事故が起きていれば、住民避難は難航していたと目される。


原発30キロ圏内に人口45万人
 島根原発を抱える島根1区でも不安は広がる。
 「人ごとではない」。市街地で出合った会社員男性(24)は「お正月の能登地震以来、原発への不安を意識し始めている。動かすなら、みんなが避難できる万全の態勢を整えてほしい」と語る。

 地元の無職男性(80)は「原発をやめたらエネルギーはどうなるかと思うこともあるが、ここで事故が起きたら死ぬしかない」。今の避難計画にも疑問があり「私の場合は事故があったら車で3時間半くらいかかる山口県の近くまで避難することになっているが、そんなの絵に描いた餅。とても無理」と断じる。
 島根原発は北に日本海、南に宍道湖や中海があり、原発近くから逃げる場所が限定的。全国で唯一、県庁所在地に立地し、松江市中心部は10キロ前後の圏内に入る。避難計画が必要な30キロ圏には約45万人が暮らし、高齢者ら避難時に支援が必要な人は約5万人に上る。


◆「今、能登のような地震があれば…」
 原発から500メートルほどのところに暮らす無職男性(68)は表情をこわばらせる。「事故があった時に住民が避難する道は1本しかなく、その道が寸断されたら逃げられない。寸断されなくても皆が一斉に逃げたら渋滞して大混乱が起こるだろう」とも語る。
 原発への恐怖も増している。「この近くにも活断層がある。いつどこで地震が起こるか分からない今、能登のような地震があれば、壊滅的な被害を受ける可能性が高い」
 原発近くの集落に暮らす無職女性(78)は、遠くを見つめながら声を潜める。「大地震があって原発で事故が起きたら一巻の終わり。わざわざそんな危ないものを動かさなくていいのに。原発はいらない」


◆自民擁立予定の新人「原子力災害の悲惨さは十分理解」
 高まる原発への危機感。そんな中である補選は、自民党の新人と立憲民主党の元職による事実上の一騎打ちとなる公算が大きい。原発推進派と慎重派が対峙(たいじ)する構図でもある。
 長く島根1区で勝ち抜いてきたのが、自民の細田博之氏。旧通産省を経て政界入りし、政府や党の要職を歴任、晩年は衆院議長を務めた。他方、原発の旗振り役でもあった。再稼働を後押しする自民の電力安定供給推進議員連盟で会長に。小泉純一郎元首相の脱原発論に関し「短絡的だ。科学に立脚しない政策を採るべきではない」と批判した。
 補選で自民が擁立する元財務省中国財務局長の新人錦織功政(にしこりのりまさ)氏(55)も稼働を容認する立場。取材に「エネルギー需給の向上やカーボンニュートラルの実現という意味で原子力発電は活用すべきだと考えている。ただ十分な安全措置が大前提の条件。私自身、復興庁で3年間勤務して原子力災害の悲惨さは十分理解しており、そこは声を大にして求めていく」と語る。


◆立民擁立予定の元職「再稼働このままでは進められない」
 立民から出馬を予定するのが亀井亜紀子氏(58)だ。島根を地盤とした元国会議員、久興氏の長女。07年の参院選国民新党公認で島根選挙区から出馬し、初当選した。3・11後には超党派国会議員の「原発ゼロの会」のメンバーに。脱原発を掲げる「みどりの風」の結党にも参加した。共産党は今回、「脱原発の姿勢で立民と考えに矛盾はない」と擁立を見送った。
 ただ陣営幹部は「基本的に脱原発のスタンスだが、支援者の中には原発をなりわいにしている人や容認派もいるので、あまり表だって言えない」とジレンマを抱える状況を解説する。
 亀井氏本人は「島根原発の再稼働に対していろんな意見があるが、このままでは進められない。共通して言えるのは、避難計画がしっかりしていることと、安全だと保障してくれないと怖くて住めないということだ。能登半島地震を受けた今、避難計画に疑義があるので、一回立ち止まって検証し見直すべきタイミングだと思う」と話した。


能登地震から初の国政選挙に意義がある
 補選前の論戦では自民の裏金疑惑、少子高齢化が進む地元の活性化が主に語られる。原発再稼働の議論はいまひとつ。立地地域の松江市鹿島町の住民は「立候補予定者が集落に来ることもない。原発を進めるか、やめるか、二者択一の争点しかないのに」と漏らす。
 とはいえ今回は能登地震後、原発稼働を問う初の国政選になる側面もある。
 島根原発2号機運転差し止め訴訟の原告団長、芦原康江さん(71)は「国が推進の方針を決めている中、国政選挙は民意を表明する機会として重要。有権者が選択できるよう、立候補予定者はきちんと考えを語ってほしい」と求める。
 推進派の牙城での審判は各地からも注目を集める。
 東北電力女川原発宮城県)の再稼働差し止め訴訟の原告団長、原伸雄さん(81)は「能登地震があっても平然と稼働を進めようとする現政権への審判。再稼働の流れに歯止めをかける上で大事な機会。非常に関心を持っている」と語る。東京電力柏崎刈羽原発に厳しい視線を向けてきた新潟国際情報大の佐々木寛教授(政治学)は「現政権のエネルギー政策の是非が問われれば国政全体へのインパクトにもなる」と語り、こう続ける。「民意がどう現れるか、固唾(かたず)をのんで島根の結果を見ている」
 中国電力島根原発 1974年3月に営業運転を開始。3基あり、1号機は廃炉作業が進む。2号機は東京電力福島第1原発と同じ「沸騰水型」と呼ばれるタイプで、同型で稼働すれば福島事故後初。3号機は新規稼働に向けた原子力規制委員会の審査中。

 

◆デスクメモ
 自民の重鎮だった細田氏。その地盤である厳しい選挙。何とか支持を広げて補選を勝ち、自民の悪政にくさびを打つ。亀井陣営の大義は分かる。が、支持拡大のために原発問題と距離を取る状況が悩ましい。他地域でも生じるジレンマ。いいかげん、解決に向けた妙案を考えねば。 (榊)

 

米下院の共和党議員ウォルバーグ「ガザを長崎や広島のようにすべきだ。早く終わらせられる」

三牧聖子
同志社大学大学院准教授=米国政治外交)
2024年4月1日


【視点】アメリカでは「オッペンハイマー」への称賛が生まれる一方、核をめぐって無反省で、恐ろしい発言が生まれ続けている。先日も、米下院の共和党議員ウォルバーグが、「ガザを長崎や広島のようにすべきだ。早く終わらせられる」と原爆投下を促すような発言をしたばかりだ。ガザでイスラエルの軍事行動が始まって以来、こうした発言は絶えない。共和党の重鎮でイスラエルを強力に支持するリンゼー・グラムに至っては、「ベルリンやドレスデンで何万人殺しても、東京、広島、長崎で何万人、何十万人殺しても、戦後ドイツも日本もアメリカに逆らわなかったじゃないか」と、ガザを徹底的に破壊した上で「再建」する方針を示唆した。非人道性の極みだ。

本記事が詳細に明らかにするように、原爆をめぐる米社会の世論は着実に変化してきている。しかしその一方で、核を実戦で使用したことがある唯一の国としての道義的責任を理解しない発言は、アメリカの政治家から相次いでいる。そうしたアメリカ政治家の反省のなさが乗り移ったかのように、ガザで軍事行動を続けるイスラエルでは、現役閣僚を含む要人たちが、ガザへの原爆投下を示唆してきた。こうしたイスラエル側の発言に対し、アラブ諸国は批判を寄せたが、被爆国日本は寄せていない。アメリカへの配慮だろうか。

今まで、原爆投下をめぐる対立は、「日本」対「アメリカ」という国家単位の対立として理解されてきた。この対立軸がなくなったわけでは決してない。ようやくアメリカでも「オッペンハイマー」のような映画がつくられるようになったとはいえ、この映画の被爆の描き方には多くの疑問が寄せられ、米市民一般に原爆投下への反省が共有されているわけでもない。その上で今後は、核廃絶を諦めない日米市民の連携によって、「我々が持つ善き核」と「危険な国が持つ悪しき核」という恣意的な二分法に基づき、「我々の核」を容認しつつある政府を牽制していくことが重要になってくるのではないか。私たちから見て「善き核」は、立場を変えてみれば、「危険な国が持つ悪しき核」である。「自分たちが持つ核は、安全で、必要な核」という論理を当然視し、問い直さない限り、私たちは「核なき世界」という目標に近づこうとすらしていない、と言う他はないのではないか。

 

79年前にあったチビチリガマの惨劇 ガマの記憶を写真で継承 読谷村で展示会

79年前にあったチビチリガマの惨劇 ガマの記憶を写真で継承 読谷村で展示会
2024年4月3日 沖縄タイムス

 

www.okinawatimes.co.jp

 

 【読谷】読谷村波平のチビチリガマで、住民の「集団自決(強制集団死)」の惨劇が起きてから2日で79年。県内を拠点に活動する写真家で俳人の豊里友行さん(47)が、チビチリガマ慰霊祭などを題材にした写真展を村内で開いている。「体験者の高齢化が進む中で、写真や証言を継承していきたい」と来場を呼びかけている。

 豊里さんは2011年ごろからチビチリガマの慰霊祭へ足を運び、写真を撮り続けている。展示会には生存者がガマの中で記憶を語る様子や遺族が参加した平和コンサートなどの写真が並ぶ。チビチリガマ関連14点に加え、沖縄戦に関する写真など計40点を自身の写真集「沖縄にどう向き合うか」などから抜粋し、展示している。

 ガマの中で死ぬための注射を打つ列に並んだ。子どもたちが寝かされた布団に火が付けられるところを見た-。生存者への聞き取りも重ねている。貴重な証言の数々を写真のそばに添え、沖縄戦の惨劇を後世に伝えられるよう工夫を凝らす。

 平日は外国人観光客の来場が多いため、英訳の解説もある。カナダから訪れたダーレン・キタムラさん(33)は「チビチリガマのことは知らなかったが、写真の迫力で当時の様子が想像できて勉強になった。平和について今後も考えたい」と話した。

 写真展は14日まで、世界遺産座喜味城跡ユンタンザミュージアムで。入場無料。(中部報道部・又吉朝香)

 

甘粕正彦 カフス・ボタン

 甘粕が溥儀から贈物を受けたのも、この時期であった。溥儀は「自分はいま貧しくて、何の礼もできない。せめてこれを記念に」とカフス・ボタンをはずして甘粕に差出した。甘粕はとっさに「礼を受ける理由はない」と言い放って無造作に返そうとしたが、側近から「わが国では、貴人からの贈物を返すことはできない習慣です」とたしなめられて、受けとった。甘粕の同期生・麦田平雄は「追悼余録」の中に「甘粕がそのカフス・ボタンを私に示し、『心ないことをした』と語った」と書いている。

(『甘粕大尉』角田房子)