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心のたねを言の葉として

米下院の共和党議員ウォルバーグ「ガザを長崎や広島のようにすべきだ。早く終わらせられる」

三牧聖子
同志社大学大学院准教授=米国政治外交)
2024年4月1日


【視点】アメリカでは「オッペンハイマー」への称賛が生まれる一方、核をめぐって無反省で、恐ろしい発言が生まれ続けている。先日も、米下院の共和党議員ウォルバーグが、「ガザを長崎や広島のようにすべきだ。早く終わらせられる」と原爆投下を促すような発言をしたばかりだ。ガザでイスラエルの軍事行動が始まって以来、こうした発言は絶えない。共和党の重鎮でイスラエルを強力に支持するリンゼー・グラムに至っては、「ベルリンやドレスデンで何万人殺しても、東京、広島、長崎で何万人、何十万人殺しても、戦後ドイツも日本もアメリカに逆らわなかったじゃないか」と、ガザを徹底的に破壊した上で「再建」する方針を示唆した。非人道性の極みだ。

本記事が詳細に明らかにするように、原爆をめぐる米社会の世論は着実に変化してきている。しかしその一方で、核を実戦で使用したことがある唯一の国としての道義的責任を理解しない発言は、アメリカの政治家から相次いでいる。そうしたアメリカ政治家の反省のなさが乗り移ったかのように、ガザで軍事行動を続けるイスラエルでは、現役閣僚を含む要人たちが、ガザへの原爆投下を示唆してきた。こうしたイスラエル側の発言に対し、アラブ諸国は批判を寄せたが、被爆国日本は寄せていない。アメリカへの配慮だろうか。

今まで、原爆投下をめぐる対立は、「日本」対「アメリカ」という国家単位の対立として理解されてきた。この対立軸がなくなったわけでは決してない。ようやくアメリカでも「オッペンハイマー」のような映画がつくられるようになったとはいえ、この映画の被爆の描き方には多くの疑問が寄せられ、米市民一般に原爆投下への反省が共有されているわけでもない。その上で今後は、核廃絶を諦めない日米市民の連携によって、「我々が持つ善き核」と「危険な国が持つ悪しき核」という恣意的な二分法に基づき、「我々の核」を容認しつつある政府を牽制していくことが重要になってくるのではないか。私たちから見て「善き核」は、立場を変えてみれば、「危険な国が持つ悪しき核」である。「自分たちが持つ核は、安全で、必要な核」という論理を当然視し、問い直さない限り、私たちは「核なき世界」という目標に近づこうとすらしていない、と言う他はないのではないか。