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心のたねを言の葉として

沖縄返還と密約

沖縄返還と密約

 

 

 朝鮮戦争末期の1953年(昭和28年)10月15日、核を搭載した空母オリスカニが横須賀に入港した。

 

 1954年(昭和29年)、海上自衛隊が出来た。これは、アメリカの空母を守ることが使命だった。空母オリスカニは60個の核兵器を積んでいた。これは、中国やソ連との全面核戦争を想定したものだった。海上自衛隊は、日本海を封鎖して、ソ連の潜水艦を日本海に封じ込め、アメリカの空母が自由に動けるよう またソ連に見つからないように、協力していた。

 

 空母オリスカニについては、2008年11月9日放映のNHKスペシャル「こうして“核”は持ち込まれた〜空母オリスカニの秘密〜」において、生々しく紹介された。

 

 1963年(昭和38年)、「ライシャワー駐日大使が当時の大平正芳外務大臣との間で、日本国内の基地への核兵器の持ち込みを了承した」という内容の国務省と大使館の間で取り交わされた通信記録が、1999年(平成11年)にアメリカの外交文書の中に発見された。

 

 1966年(昭和41年)、ベトナム戦争の渦中、「返還前の沖縄にあった核兵器を日本政府に無断で本州に移したことがあった」、「1966年の少なくとも3か月間、岩国基地沿岸で核兵器を保管していた」というライシャワー元駐日大使の特別補佐官を務めたジョージ・パッカード米日財団理事長の証言が、読売新聞や毎日新聞に報道された。2010年のことである。

 

 朝鮮半島有事の場合、沖縄だけでなく、日本本土にある基地の自由使用を「ほとんど肯定する」と日本政府は約束した。さらに、台湾での有事の場合についても「前向きに応じる」としていた。沖縄返還50年の今年、5月15日のNHKスペシャル「証言ドキュメント “沖縄返還史”」が報じている。

 

栗山尚一(条約局条約課 調査官)「朝鮮半島、それから台湾の安全というのは、日本の安全保障と密接な関係があるという認識を、そこで表明するということで、法律的な約束はしないけれども、政治的な心証としては、日本はアメリカが事前協議をしてくれば、まずほとんど間違いなく『イエス』と言うでしょう、という心証を与えるということによって、手を打ったわけですね」

NHKスペシャル「証言ドキュメント “沖縄返還史”(後編)」 2022/5/15放送)