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万博が抱える黒歴史「人間動物園」…120年前の大阪で起きた「事件」と2025年大阪万博の相似形とは

万博が抱える黒歴史「人間動物園」…120年前の大阪で起きた「事件」と2025年大阪万博の相似形とは
2023年12月17日 東京新聞

 

 華やかで明るい未来を演出する万博だが、歴史的には列強が植民地支配に猛進した帝国主義に根をもつ。さまざまな地域の先住民族を生きたまま「展示」して「見せ物」にした「ヒューマンズー(人間動物園)」は人類の負の歴史だ。120年前の大阪でも「学術人類館」事件と呼ばれる問題が起き、2025年大阪・関西万博も懸念すべき動きが出ている。差別思想を源流にする万博を継承する必要があるのか。脈々と続く問題を考えた。(木原育子)


◆120年前、先住民族を生身で「展示」
 1枚の白黒写真がある。それぞれが民族衣装を身にまとうが、表情は皆硬い。

 

人類館に「展示」されたという人々。怒りを押し殺したような表情にみえる(関西沖縄文庫提供)

 

 「学術人類館に『展示』された人たちです」
 そう話すのは、沖縄の関連資料を貸し出す「関西沖縄文庫」主宰の金城カナグスク馨さん(70)=大阪市大正区。2001年に研究会をつくって議論を重ね、学術人類館事件から100年後の2003年には演劇「人類館」を再演した。
 人類館は、1903年に大阪であった第5回内国勧業博覧会(内国博)の民間パビリオンとして設置された。内国博は、明治政府が国内産業の奨励のために1877年から開催。第5回は他国の参加もあり、「明治の万博」と称された。


◆「性質が荒々しいので笑ったりしないように」
 「見せ物」となったのは琉球民族や北海道のアイヌ民族、台湾の生蕃(せいばん)、インド部族のバルガリーなど。「7種の土人」として、生身の人間がそのまま「展示」された。解説者がムチで指し示しながら紹介したほか、「性質が荒々しいので笑ったりしないように」との立て札もあったという。
 「本家」の万国博覧会は51年、世界で初めて英国で開かれた。列強は力を誇示する道具として万博を開いていく。延長線上にあったのが、生身の人間を「展示」する「ヒューマンズー(人間動物園)」。89年のパリ万博で始まった。10年余がたち、大阪の内国博で人類館が設けられた。
 この内国博に至るまでの時代背景について、金城さんはこう解説する。


◆「未開」なアジアで最上位になって劣等感を解消
 「西欧諸国はかねてアジアを『未開』と見ていた。そのまなざしは日本にも向けられ、列強に治外法権を与える不平等条約として現実化し、日本人に屈辱感をもたらした。明治期の文明開化や、脱亜入欧の精神と結び付く」。その後、日本は日清戦争に勝ち、台湾領有で国威の高まりは最高潮に。1902年には日英同盟を結んだ。
 よって03年の第5回内国博は4回目までと趣を全く異にした。外国製品の出展が認められ、西欧十数カ国が参加。来館者は前回の4倍強の530万人。内外の威信を示す空前絶後の国家イベントになった。
 「劣等感の解消には『未開』なアジアの中で日本を最上位に置く必要があった。人類館は『未開人』を展示し、見せ物にすることで『未開』からの脱却の装置として機能していった」


◆差別の下にさらなる差別の不幸
 沖縄にルーツをもつ金城さんが特にこだわるのは当時の琉球の訴えだ。展示そのものを問題視せず、「アイヌと同列視されるのは侮辱だ」と展開した。「琉球は日本人になりたくて、差別の下にさらなる差別を作った。差別から逃れるために強い者に迎合し、同化する。沖縄の分岐点だった。では日本人はどうか」と投げかける。
 「マジョリティー(多数派)がマイノリティー(少数派)を理解しようとする時、『理解してあげる』という優位性が生まれる。人類館も当時、人々に『理解』させようとして生まれた。正しさは暴力性を内包する。『理解』が差別を生むことを忘れてはならない」とし「その理解は、常に国家によって統制されている。いや応なく表出したのが人類館だった」と続けた。


◆2025年大阪・関西万博でも似たような構図?
 人類館事件から120年。嫌な記憶を思い返させる事態も生じている。
 「わが国の先住民族であるアイヌの存在や文化を発信する、またとないチャンスだ」。今夏、北海道の鈴木直道知事は全国知事会議でそう口火を切った。
 好機というのは2025年大阪・関西万博のこと。鈴木氏は、アイヌ民族が伝統的な舞踊などを披露する機会を設ける考えを表明した。白老町アイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」に触れ「万博来場者には、ぜひ北海道に足を運んでいただきたい」と言ってのけた。
 生身の人間展示ではないが、先住民族を国家イベントに組み込む構図は「明治の万博」と変わらない。

 

◆「アイヌに猿回しのサルをやらせるのか」
 古布絵作家で詩人のアイヌ民族、宇梶静江さん(90)=白老町=は「国のイベントなど、いい時にだけいいように利用され、ごまかされてきた」と冷ややかにみる。東京で暮らしていた1973年に東京ウタリ(同胞)会を発足させ、アイヌ差別解放運動を担った。「アイヌ民族の友人もかつて道内の博物館に連れて行かれ、大勢の前で踊らされた。彼女は傷つき、その時のことを生涯で一度も語らなかった。アイヌ民族は日常的に屈辱にさらされてきた」と嘆く。
 遺骨問題に取り組むアイヌ民族の木村二三夫さん(74)=平取町=も「アイヌに猿回しのサルをやらせるのか。ウポポイも万博も国の金もうけに加担させられているだけだ」と憤る。
 国はどうか。
 内閣官房アイヌ総合政策室の担当者は「予算も決まっておらず具体化していない。どの関係機関と協議をしているかは今の段階で言えない」とし、「国主導でアイヌ民族を万博に参加させるというのは、アイヌの人たちに踊りをやらせているニュアンスがして違う」と反論する。

 

◆民族的多様性を示したいなら、差別禁止法の制定が先
 これにくぎを刺すのが、先住民族復権運動に取り組む室蘭工業大の丸山博名誉教授だ。「万博のような国家的行事でアイヌ民族に伝統文化の披露を要請するには、初期の段階から各地のアイヌ団体に目的や経緯を誠実に説明し、同意を得て、その上でアイヌ側が主体的に参加できるようにすることが不可欠だ」
 国際人権法には、FPIC(自由意思による、事前の、十分な情報に基づく同意)という、先住民族の自己決定権を手続き的に保障する原則があり、法治国家はそれを保障する義務がある、と続ける。
 「万博にアイヌ民族を招き、日本の民族的多様性を世界に示したいのなら、アイヌ語琉球諸語を公用語化し、差別禁止法の制定なども約束すべきだ。それはせず、協力だけ求めるのは公平ではない。異を唱えるアイヌ民族や沖縄の人たちがヘイトにさらされる現状を国はもっと深刻に考えてほしい」


◆「無自覚にやっているのなら世界から冷笑される」
 国学院大の吉見俊哉教授(社会学)は「万博で流行した『人間動物園』は、先住民族を間近で見ることができるアトラクションで観光的側面があった。その差別的イベントが日本では、今回と同じ大阪で起きていた。今回の万博へのアイヌ民族参加にどれだけ生きているか。無自覚に観光的にやっているなら世界から冷笑される」と語る。
 「先住民族の権利奪還運動は全世界的な広がりがあり、いま最も注目される潮流の一つ。抑圧されてきた先住民の権利奪還に大阪はどう対峙(たいじ)するつもりか。先住民族を参加させることはそうした視点が問われる」
 そもそも差別的な帝国主義を背景に始まった万博。「英国など欧州はとっくの昔に卒業している。偽りの未来の幻想でしかない万博にいまだに熱中しているのは日本だけかもしれない。日本も早く万博幻想から卒業してほしい」と訴える。