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心のたねを言の葉として

<論壇時評>開幕危ぶまれる「大阪万博」 会場の夢洲自体が問題  2023年11月1日

<論壇時評>開幕危ぶまれる「大阪万博」 会場の夢洲自体が問題
2023年11月1日  東京新聞


 2025年4月から、大阪市夢洲(ゆめしま)で大阪・関西万博が開かれる予定である。しかし、開催まで1年半を切ったにもかかわらず、建設準備が大幅に遅れ、予定通りの開幕が危ぶまれている。当初、1250億円と想定されていた予算も、20年12月に資材価格の高騰などで1850億円に引き上げられ、現在はさらに450億円積み増して2300億円程度になるという。
 そもそも会場となる夢洲はゴミや建設残土の埋め立て地で、万博やIR(統合型リゾート施設)という用途を前提としていない。地盤はゆるく、有害物質が含まれるとされる。交通アクセスも限定されており、災害時や混雑時の危険性が指摘されている。
 古賀茂明は「2350億円の無駄では済まない『大阪万博』 中止こそが日本を救うと断言できる3つの理由」(10月17日、AERAdot.)の中で、無理な万博開催こそが日本経済にマイナスの影響を与えると指摘する。現在、建設土木分野では需要超過の状態が続いており、資材価格の上昇や人手不足が深刻化している。そのため、マンションや一戸建て住宅も建設費が上がっており、多くの庶民にとっては家を買いたくても買えない状況が続いている。このような状況で万博の建設現場に人と資材を集中させると、さらに競争が激しくなり、「ただでさえ高い工事費用は天井知らずに上がる可能性が極めて高い」。結果として、日本経済の循環が悪化し、各地の大型プロジェクトも停滞する。いま万博を強行するのではなく、中止した方が「日本のためになる」と言うのだ。
 伊東乾は「大阪万博を開催する意味は本当にあるのか、札幌五輪断念を機に再考を」(10月13日、JBpress)において、問題山積の万博開催に突き進む現代日本を、「太平洋戦争を指導した大本営」になぞらえる。
 大本営は、「一度振り上げた拳の下ろし場所がなく、立案した作戦行動に威信やら見栄(みえ)やら維持やらで固執」し、「必要のない犠牲を出し続け」た。今回の大阪万博もこれと同様で、指摘される深刻な問題に対応しようとせず、開催そのものを目的化して突き進んでいる。ここには「破滅する日本型組織の典型的特徴である思考の硬直化、一度の成功体験に味を占めた思考停止、空気に流され変更を決断できない、合理的に事態を直視できないなどの現実が見て取れる」。
 この国のリーダーたちは、「立ち止まって冷静に見直すこと」「引き返すこと」ができない。新田次郎八甲田山死の彷徨(ほうこう)』では、1902年に起きた八甲田山雪中行軍遭難事件が題材にされているが、ここでも雪中行軍の演習にこだわったリーダーが無謀な計画を強行し、210名中199名が吹雪で遭難、死亡している。不都合な予測やデータは見ないことにされ、根拠の乏しい楽観に固執する。
 今回の大阪万博開催に向けては、一部の与党国会議員の口から「超法規的措置」の必要性まで説かれている。2024年4月に「時間外労働の上限規制」が建設業界にも適用されるが、この法的規制を外す「超法規的措置」が必要だというのである。根拠として、「非常事態」「災害だと思えばいい」といった声が飛び出したが、これは危険である。
 この事態に対応するためには、ナオミ・クラインが説いた「ショック・ドクトリン」という概念が重要になる。「ショック・ドクトリン」とは、戦争や政変、自然災害などを利用して、平時では不可能だった政策を実行する策略で、惨事便乗型資本主義ともいわれる。一部の政治家や資本家が大きな利益を得ることが多く、新自由主義権力との相性がいい。
 「ショック状態」は、人為的につくられることも多い。「万博の開幕が間に合わなければ、国家の威信にかかわる」「日本という国のイメージや信頼に関わる事態」などの声を高めることで、無尽蔵に税金が投入され、「超法規」という名の「違法」が容認されかねない。
 大阪万博は、間に合わないことが問題なのではなく、夢洲での開催自体に問題があるのだ。この点を間違えてはいけない。(なかじま・たけし=東京工業大教授)