ippo2011

心のたねを言の葉として

「集団に埋没するな」森達也監督インタビュー

「集団に埋没するな」森達也監督インタビュー
映画『福田村事件』から考える


関東大震災から100年。歴史の影に隠れてきた、ある事件をテーマとした映画が公開されました。「オウム真理教」のドキュメンタリーなどを撮ってきた森達也さんが、初めて劇映画のメガホンを取った『福田村事件』です。 
当初、福岡県内での上映は当初1館のみでしたが、今後5館にまで拡大する予定。ミニシアターを中心に上映される作品としては異例のヒットを飛ばしています。 福岡での公開にあわせて舞台挨拶に訪れた森さんに、話を聞きました。
NHK福岡放送局 木内慧・河﨑涼太)


「この国はちょっとおかしいぞ」空気を変えるきっかけに
――映画の大ヒット、おめでとうございます。全国でも連日多くの観客を動員し、福岡での舞台挨拶のチケットは前日までに完売したそうです。この反応をどう見ていますか。
 この映画がここまで多くの人びとに見てもらえる状況というのは、本当に予想外なんです。要因として考えると、まずメディアがたくさん取材してくれたことがあるのかなと思います。NHKに限らず、民放、ネットメディア、雑誌など、公開前からたくさん取材に来てくれました。そこでなんとなく気付いたのは、メディアの人びと――記者やディレクターやライターなど――が、「やっぱりこの国はちょっとおかしいぞ」と感じているのではないかということです。そういう人たちが、この映画を使って自分の違和感を表明しようとしているのではないか。それならば、どんどん材料に使ってくださいと、そういう感じで取材を受けてきました。
  映画が公開されると、今度は一般の方にも「やっぱり今の日本はおかしいぞ」と思っている人がこんなにいっぱいいたのだと驚くと同時に、心強く思っています。
 戦後の日本は、広島・長崎と終戦の日をメモリアルとする「8月ジャーナリズム」ということばが端的に示すように、戦争については被害者意識を基調にしてきました。「自分たちはこれほどひどい目にあった」を基盤にしながら、戦後からの復興をナラティブ(物語)として消費してきて、そこにメディアも教育も政治も乗じてきた。そこにアジアに対する加害責任や煩悶(はんもん)はほぼない。朝鮮人虐殺を政治家が当然のように否定することについて、「それはいくら何でも違うんじゃないか」という思いを持った人が増えてきているのだと思います。
 同様のことは、日本の映画界にも言えます。ドキュメンタリーを除いた商業映画では、日本の加害の歴史について描いたものはほぼありません。一方で、ヨーロッパではナチスホロコーストをテーマにした映画はひとつのジャンルとして確立し、毎年量産されています。加害国のドイツでも、そのような映画が制作されている。アメリカでは、先住民虐殺や黒人差別を映画にしています。韓国でも光州事件を立派なエンターテインメントにしていますよね。日本だけがやらない。
 理由は恐らく明らかで、そんな映画を作っても誰も見に来てくれないだろうということです。でも、それは思い込みだったのでしょう。この『福田村事件』がヒットして、この日本の映画界の空気を変えることができるのであればうれしいです。