この勝報に日本中が湧き立ち、旗行列と歓呼の声が全土を埋め尽くした。この情景は満州でもくりひろげられた。新京では、関東軍が協和会首都本部に旗行列と祝賀国民大会開催を指令し、早朝から狩り出された漢人、満人たちは小旗を持って、大同公園まで行進させられた。零下二十五度の寒気の中に立って、彼らは日本人と声を合わせて万歳を三唱しなければならなかった。
この日、甘粕は暗い表情で武藤にいった。
「中国の古都・南京が日本軍に占領されたことは、満州にいる四千万の漢民族にとって悲しいことなのです。その悲しい時、漢民族をひっぱり出して、慶祝の行列をさせるのは大きな間違いです」
甘粕が大衆の感情を察して、関東軍のやり方や行政のあり方を批判することは、珍しいことではなかった。この時も武藤が聞いたのは、その批判と、漢民族の悲しみに対する同情だけであったが、実は旗行列を眺める甘粕自身が、深い悲しみを抱いていた。
(『甘粕大尉』 角田房子)