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心のたねを言の葉として

黒木和雄(映画監督)当時14歳・宮崎県飯野 中学2年

「あの日 昭和20年の記憶」3月24日 (NHK出版)
黒木和雄(映画監督)当時14歳・宮崎県飯野 中学2年

 

 爺さんは僕を軍人にしようとして厳しくて、朝は早くから叩き起こされた。木刀を持って素振りをしたり、一切足袋は履かない。食事は正座。士官みたいにいつも私を監視して叱り飛ばす。爺さんはそういう明治気質の人でした。

 

 僕は非常に臆病で、戦地に行って大砲を撃ったり、いつも死と向き合うような職業は絶対に選びたくないと思っていた。徴兵検査で兵隊にとられるのは仕方がないと思っていましたが、自分から軍人の学校に行くのは本当にいやだった。運よく、目が悪く成績が悪かったりして、徴兵検査に落ちたので、内心「してやったり」という気持ちだった。顔つきは落ち込んだ感じにしたが、気持ちはホッとして明るかった。

 

ある時軍隊が駅前を行進しているときに、行進に見とれてうっかり軍旗に敬礼をするのを忘れてしまった。軍旗や日の丸を見たときには必ず不動で敬礼しなければならなかったのに、忘れてしまった。間髪入れずに憲兵がやってきて、上級生だった私たち3人は駅長室に連れて行かれて、「不敬罪」だと言って徹底的に殴ったり、蹴ったりの暴力で「制裁」された。相当鼻血も出た。学校に連絡して厳重に処分するというので、釈放された。3人でどうしようかと震え上がったが、結局はなにもなかった。その場限りのことだったので、ホッとしたが、暴力を一方的に振るわれたというとで、非常に不愉快な体験だった。(抜粋)