ippo2011

心のたねを言の葉として

続 癩院記録(3)  北條民雄

続 癩院記録(3)  北條民雄

ハンセン病文学全集「記録・随筆」

 

六号病室にもう数年の間各病室を転々と移ってきたY氏がいる。

氏のことに就いては私は委しく書くだけの元気がなかなか出てこないのであるが、と言うのは氏のことを書こうとするとなんとなく私自身息づまるような気がして来るのである。

人の年齢と言うものは、顔の形や表情や体のそぶりなどによってだいたい推察されるし、またそうしたジェスチュアや表情などがあってこそ年齢という言葉もぴったり板についた感じで使用出来るのである。

ところがそうしたものが一切なくなってしまった人間になると、年齢ということを考えるのさえなんとなくちぐはぐなものである。Y氏は今年まだ四十七か八くらいであるが、しかし氏の姿を見るともう年齢などという人間なみの習俗の外に出てしまっているのを感じさせられる。

たとえば骸骨を見て、こいつはもう幾つになるかな、などは考古学者ででもない限り誰でも考えないであろうように、Y氏を見ても年齢を考えるのは不可能なばかりでなくそんな興味がおこって来ないのである。氏は文字通り「生ける骸骨」であるからだ。

眼球が脱却して洞穴になった二つの眼窩、頬が凹んでその上に突起した頬骨、毛の一本も生えていない頭とそれに這入っている皸のような条、これが氏の首である。ちょっと見ても耳のついているのが不思議と思われるくらいである。

その上、腕は両方共手首から先は切断されてしまっており、しかも肘の関節は全然用をなさず、恰も二本の丸た棒が肩にくっついてぶらぶらしているのと同然である。かてて加えて足は両方共膝小僧までしかない。それから下部は切り飛ばしてしまっているのである。

つまり一言にして言えば首と胴体だけしかないのである。

こんなになってまでよく生きていられるものだと思うが、しかし首を縊るにも手足は必要なのであってみれば、氏にはもう自殺するだけの動作すら不可能、それどころか、背中をごそごそ這い廻る蚤に腹が立ってもそれを追い払うことすら困難なのである。

飯時になると、氏はそれでも起きてけんどんを前にして座る。付添夫がどんぶりに粥を盛ってやると、犬のように舌をべろりと出してそのあたりを探り、どんぶりを探し当てると首をその中に突っこむようにしてびちゃびちゃと食い始める。

少しも形容ではなく犬か猫の姿である。食い終わった時には潰れた鼻にも額にも、頬っぺたにも粥がべたべたとくっつき、味噌汁はなすりつけたように方々に飛び散ってくっついている。それを拭かねばならないのであるが、勿論手拭を持って拭うという風な人間並の芸当はできない。

それにはちゃんと用意がしてあって、蒲団の横の方に幾枚も重ねたガーゼが拡げてある。氏はころりと横になると、うつぶせになってそのガーゼに顔をこすりつけて拭うのである。

既に幾度も拭ったガーゼは黄色くなってをり━勿論付添夫が時々取りかえてやるが━それは拭うというよりも、一箇所にくっついているのをただあちこちとよけいくっつけるばかりであるが、そんなことに一向気のつかない氏は、顔はたしかに綺麗になったに違いないと思って蒲団の中へもぐり込んでしまう。

私は昨夜もこの男のいる病室へ用があって出かけて見たが、氏は相変わらず生きていた。しかし大変力の失せたのが目立っていて、近いうちに死ぬのじゃないかと思った。

だが、驚くべきことは、こういう姿になりながら彼は実に明るい気持ちを持っており、便所へ行くのも付添さんの世話になるのだからと湯水を飲むのも注意して必要以上に決して飲まないというその精神である。

そして煙草を吸わせてやったり便をとってやったりすると、非常にはっきりした調子で「ありがとうさん。」と一言礼をのべるのである。

また彼は俳句などにもかなり明るく、読んで聴かせると、時にはびっくりするくらい正しい批評をして見せる。

私は彼をみるとき、つと思うのであるが、それは堪え得ぬばかりに苛酷に虐げられ、現実というものの最悪の場合のみにぶつかって来た一人の人間が、必死になっていのちを守り続けている姿である。これを貴いと見るも、浅ましいと見るも、それは人々の勝手だ。

しかし、いのちを守って戦い続ける人間が生きているという事実だけは、誰が何と言おうと断じて動かし難いのである。