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心のたねを言の葉として

骨がうたう        竹内浩三

骨がうたう

                   竹内浩三

 


戦死やあはれ
兵隊の死ぬるやあはれ
とほい他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや


ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや


国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や


苔いぢらしや あはれや兵隊の死ぬるや
こらへきれないさびしさや
なかず 咆えず ひたすら 銃を持つ
白い箱にて 故国をながめる
音もなく なにもない 骨


帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらひ
高く崇められ ほまれは高し


なれど 骨は骨 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
それはなかった
がらがらどんどん事務と常識が流れていた
骨は骨として崇められた
骨は チンチン音を立てて粉になった


ああ 戦死やあはれ
故国の風は 骨を吹きとばした
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった
なんにもないところで
骨は なんにもなしになった


※竹内 浩三(たけうち こうぞう、1921年(大正10年)5月12日 - 1945年(昭和20年)4月9日)は、日本の詩人。
三重県宇治山田市(現在の伊勢市)生まれ。宇治山田中学校在学中より友人と回覧雑誌を製作。1940年(昭和15年)日本大学専門部映画科入学。1942年、宇治山田中学校時代の友人中井利亮・野村一雄・土屋陽一と同人誌『伊勢文学』を創刊。同年、日本大学を卒業、入営。
1945年4月9日、フィリピン・ルソン島バギオ北方にて戦死(厳密には生死不明)。
入営中に記された日記(筑波日記)などに書き残された詩は、青年のみずみずしい感情を歌っている。
『愚の旗―竹内浩三作品集』(私家版)
竹内浩三作品集』(新評論社)
竹内浩三全作品集―日本が見えない』(藤原書店、2002年)
『戦死やあわれ』(岩波書店、2003年)