「大事なことはすべて昭和史に書いてある」。これは半藤さんの言葉です。私は昭和史を「人類史の見本市」と別の表現をしますが、それは昭和が続いた62年と2週間という短い期間に、戦争や占領、クーデターなど人類がこれまで体験してきたことがほとんど詰まっているという意味です。考えられないほど暴力的な時代だったという点を含めて、半藤さんと私は昭和史に対して共通の認識を持っていたと思います。
そして、過去に調べた時に足りなかったもの、あるいは自分の考えが甘いと感じた部分などを精査して、もう一度世の中に提示する。代表作の「日本のいちばん長い日」は65年に出版されて、それを95年にもう1回出しています。新版では、
終戦時の首相となる
鈴木貫太郎が、
天皇から首相就任を打診され、一晩悩んで引き受けるまでの心理などに踏み込んで書いています。半藤さんだからこそできる描写でしょう。
半藤さんとは何度も対談して、この5項目の教訓は、文字通り半藤さんと共有したものです。私が言い出したものもあれば、半藤さんが発案したものもある。私が使った表現を「それはいい言葉だな」と言って、いろんな場所で語ってくれるわけです。お互いに納得して使い合っていたのです。
私や半藤さんは活字で歴史を伝えてきました。今後はバーチャル(仮想現実)などの技術を使って空襲の光景を映すなど、いろいろな形で戦争の記憶の風化を防ぐ方法を考えていくことになるでしょう。それでも半藤さんの「日本のいちばん長い日」や「昭和史」などは読み継がれていくと思います。
半藤さんと保阪さんが指摘する昭和史の教訓①
国民的熱狂をつくってはいけない=1933年の
国際連盟脱退への
喝采や、37年の南京陥落後の祝賀デモなど、国民の熱狂で冷静な議論が行われなくなった。
②
現実主義に徹する=
終戦直前の
旧ソ連による旧
満州(現中国東北地方)などへの侵攻の兆候を無視するなど、「起きると困る」ことは「起きない」と思い込み、現実を無視した対応を取った。
③
タコツボ型のエリート小集団主義の弊害を忘れない=44年の台湾沖航空戦で情報部の報告を無視するなど、「成績優等」が集う
参謀本部や軍令部の作戦課が絶対的な権力を持ち、他部署からの情報や意見を採用しなかった。
④
国際的常識の欠如に注意する=41年の日米開戦前に他国との首脳会談を行わず、国際社会における日本の位置づけを客観的に把握しようとしなかった。また、捕虜の取り扱いに関する国際的なルールを兵士に教えなかったため、捕虜虐待が相次いだ。
⑤
長期的視点・発想を持つ=
日中戦争の泥沼化を想定しなかった。また、長期的なビジョンを持たず、対米交渉を早々と打ち切るなど、問題が生じたときに対症療法的に、すぐに成果を求める発想で対応した。
<略歴>ほさか・まさやす 札幌市生まれ。
同志社大卒。ノンフィクション作家で、「昭和史を語り継ぐ会」を主宰。2004年に
菊池寛賞。著書に「昭和陸軍の研究(上下)」「
昭和天皇実録 その表と裏」「
ナショナリズムの昭和」(
和辻哲郎文化賞)など。