2024/8/15 北海道新聞2021年に亡くなった半藤一利さんと、札幌出身のノンフィクション作家保阪正康さん(84)は、いずれも昭和史の語り部として知られる。長年親交があり、戦時中の軍人や政治家らを取材してきた盟友とも言える2人は、昭和史の教訓で共鳴していたという。「大事なことはすべて昭和史に書いてある」。これは半藤さんの言葉です。私は昭和史を「人類史の見本市」と別の表現をしますが、それは昭和が続いた62年と2週間という短い期間に、戦争や占領、クーデターなど人類がこれまで体験してきたことがほとんど詰まっているという意味です。考えられないほど暴力的な時代だったという点を含めて、半藤さんと私は昭和史に対して共通の認識を持っていたと思います。■「真理は細部に」
半藤さんが描く歴史は、事実を積み上げていく手法で、実証主義的だったと強調する。例えば、1936年(昭和11年)の二・二六事件。左派的な歴史観では、軍国主義に傾倒する青年将校がクーデターを起こし、日本のファシズムのきっかけになった、とみる。確かにそれは間違いではありません。でもそれだけではないんです。貧困という社会状況があって、その問題に対して政治が何もしない。決して青年将校の行動を正当化するのではなく、そのような側面があったことも考慮しなければならない。「歴史の真理は細部にある」とも語っていた半藤さんの手法は、そのような事実を丹念に積み上げていくわけです。そして、過去に調べた時に足りなかったもの、あるいは自分の考えが甘いと感じた部分などを精査して、もう一度世の中に提示する。代表作の「日本のいちばん長い日」は65年に出版されて、それを95年にもう1回出しています。新版では、終戦時の首相となる鈴木貫太郎が、天皇から首相就任を打診され、一晩悩んで引き受けるまでの心理などに踏み込んで書いています。半藤さんだからこそできる描写でしょう。半藤さんは戦後、将官や佐官など幅広い階級の軍人に取材を重ねてきたので、相手がうそをつくときはどんな態度を取るのかというのを分かっています。実証的に歴史を調べるには、証言の真偽を確かめることが必要です。その見分け方を教えてもらいましたね。半藤さんは、A級戦犯にもなった海軍最高幹部を取材するため何度も手紙を出したそうです。相手が「会う」と言うので、家を訪れて、いろいろ質問しても、彼は正座したまま一言も話さなかった。半藤さんはこうした自分のことしか考えず、戦時中の政策決定に関わった者としての説明責任について全く考えていない人に対して、強い怒りを持っていました。■次代で検証必要
そのような実証主義に基づいて導いた昭和史の教訓がある。「国民的熱狂を起こしてはならない」など5項目の教訓=別表=だ。半藤さんとは何度も対談して、この5項目の教訓は、文字通り半藤さんと共有したものです。私が言い出したものもあれば、半藤さんが発案したものもある。私が使った表現を「それはいい言葉だな」と言って、いろんな場所で語ってくれるわけです。お互いに納得して使い合っていたのです。来年で戦後80年、昭和100年を迎え、戦争の記憶が風化していくことへの危機感は強い。半藤さんは大学で講師を務めていた時、「第2次世界大戦で日本が戦わなかった国はどれか」という問題を出したそうです。中国やドイツなどいくつかの国を挙げたら、多くの学生が「アメリカ」と答えました。しかも「日本とアメリカ、どっちが勝ったのか」という質問まで出て、驚いたそうです。これが時間がたつことの怖さだと思います。私や半藤さんは活字で歴史を伝えてきました。今後はバーチャル(仮想現実)などの技術を使って空襲の光景を映すなど、いろいろな形で戦争の記憶の風化を防ぐ方法を考えていくことになるでしょう。それでも半藤さんの「日本のいちばん長い日」や「昭和史」などは読み継がれていくと思います。半藤さんや私が書き残した史実は、同時代での解釈です。次の世代の人たちがこれらを検証し、その時代に合った教訓を作っていくことが重要になるのではないでしょうか。半藤さんと保阪さんが指摘する昭和史の教訓
①国民的熱狂をつくってはいけない=1933年の国際連盟脱退への喝采や、37年の南京陥落後の祝賀デモなど、国民の熱狂で冷静な議論が行われなくなった。
②現実主義に徹する=終戦直前の旧ソ連による旧満州(現中国東北地方)などへの侵攻の兆候を無視するなど、「起きると困る」ことは「起きない」と思い込み、現実を無視した対応を取った。
③タコツボ型のエリート小集団主義の弊害を忘れない=44年の台湾沖航空戦で情報部の報告を無視するなど、「成績優等」が集う参謀本部や軍令部の作戦課が絶対的な権力を持ち、他部署からの情報や意見を採用しなかった。
④国際的常識の欠如に注意する=41年の日米開戦前に他国との首脳会談を行わず、国際社会における日本の位置づけを客観的に把握しようとしなかった。また、捕虜の取り扱いに関する国際的なルールを兵士に教えなかったため、捕虜虐待が相次いだ。
⑤長期的視点・発想を持つ=日中戦争の泥沼化を想定しなかった。また、長期的なビジョンを持たず、対米交渉を早々と打ち切るなど、問題が生じたときに対症療法的に、すぐに成果を求める発想で対応した。
<略歴>ほさか・まさやす 札幌市生まれ。同志社大卒。ノンフィクション作家で、「昭和史を語り継ぐ会」を主宰。2004年に菊池寛賞。著書に「昭和陸軍の研究(上下)」「昭和天皇実録 その表と裏」「ナショナリズムの昭和」(和辻哲郎文化賞)など。