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心のたねを言の葉として

100年で終わりじゃない 「甘粕事件」大杉栄のおいが追う真相

100年で終わりじゃない 「甘粕事件」大杉栄のおいが追う真相

毎日新聞 2023/9/15

 

 関東大震災の混乱の中で「朝鮮人共産主義者が井戸に毒を入れた」などのデマが流され、罪のない多くの人が犠牲になった。旧日本軍・憲兵大尉の甘粕正彦らによって、無政府主義者大杉栄(1885~1923年)や栄のおい(当時6歳)らが殺害された「甘粕事件」もその一つだ。栄のおい、大杉豊さん(84)=千葉県柏市=は「罪のない無関係の子どもまで殺された未曽有の事件。100年で終わりではなく、その記憶を忘れてはならない」と強く訴えている。

 同事件は1923年9月16日、栄と内縁関係の伊藤野枝、栄のおいで当時6歳だった橘宗一(むねかず)の3人が憲兵に連行され、首を絞め殺されて遺体を井戸に捨てられた。軍法会議で、関わった5人のうち、主犯の甘粕に懲役10年、森慶次郎曹長に懲役3年の判決が出た。軍の組織的関与は不明だ。


 今も事件の真相を追っている豊さんにとって、栄は決して身近な存在ではなかった。栄の弟で、豊さんの父・勇は、豊さんが小学2年生の時に他界し、大杉家との縁も薄れていた。しかし、家には栄の自叙伝や全集があり、意識の片隅にはあった。学生時代は1960年代安保闘争のまっただ中で学生運動にも参加したが、その後は政治活動に関わることはなかった。

 だが、40代を迎えた頃、ふと「子どもたちに自分のルーツに関わることを伝えるのは必要なのではないのか」と思い立ち、栄の研究を始めた。


 甘粕事件について豊さんは「甘粕の個人的な犯罪とされているが、軍組織の関与の可能性が高い。国は虐殺の責任を認め、謝罪すべきだ」と訴える。

甘粕事件に巻き込まれ、6歳で命を絶たれた大杉栄のおいの橘宗一さん(大杉豊さん提供)
 豊さんが特に憤るのが、いとこでもあるわずか6歳の宗一が犠牲になったことだ。事件の4年後、名古屋市覚王山日泰寺に建てられた墓碑には「犬共ニ虐殺サル」と刻まれている。豊さんは「6歳児を殺すなんて冗談じゃない。人道から外れたこと。父親の思いを思うと……」と声を詰まらせる。


 栄の人物像について豊さんは親戚から聞き取りをしたり、著書や書簡を調べたりするうちに浮かび上がってきた。栄が最も大事にしたのは無政府主義社会主義のような思想ではなく、人が自由に人生を謳歌(おうか)する生き方だったと感じた。「彼は何より『生の拡充』を大事にした。自分を広げ、充実した人生を送ることこそが生きる意味だった。彼が目指したのは、人が対等で、支配したり強制したりすることのない世界。人が助け合い協働して生活する社会だった」と話す。

 しかし、栄が生きた時代は基本的人権が制限され、自由な言論や表現が許されず、政府が個人を支配した時代。栄はそれらの障壁を排除し、「生の拡充」を模索した。その手段が無政府主義や労働運動だったと、豊さんは推測する。


 現代では法の下に労働者の権利が認められ、労使は対等とされている。しかし、非正規雇用格差社会ブラック企業パワーハラスメントなど、依然として不平等で、人が人に強制する問題は多い。豊さんは「栄の主張は現代にも通じるのではないか」と考える。

 事件から100年。豊さんは「民主主義の時代に全く同じ事件が起こるとは思わない。だが、政府が体制批判を抑え込むようなことがないよう、今後も事件は記憶されるべきだ。100年たったから終わりではない」と強調する。【柴田智弘】

命日に墓前祭
 栄の命日の9月16日、静岡市の沓谷霊園で、墓前祭が営まれる。