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心のたねを言の葉として

わが道を貫いた 野枝の気概今こそ 講談「伊藤野枝」を創作した神田紅さん  2023年9月13日

わが道を貫いた 野枝の気概今こそ 講談「伊藤野枝」を創作した神田紅さん 28日都内で披露
2023年9月13日 東京新聞

 

 一人の人間としての自由を求め続けた女性解放運動家、伊藤野枝(1895~1923年)。その生きざまを伝えようと、没後100年の節目である今月、講談師の神田紅くれないさん(71)が、東京都内で創作講談「伊藤野枝」を披露する。「今こそ野枝を語り、自分を含めた世の女性たちを奮い立たせたい」。紅さんはそう力を込める。(林朋実、ライター・神野栄子)

 「娘達は男の妻として準備される教育から解放されなければなりません。男と女との差異を画然と立てた教育がまず打破されなければなりません」(岩波文庫森まゆみ編「伊藤野枝集」)。100年前に雑誌「中央公論」に掲載された「禍わざわいの根をなすもの」でこう訴えた野枝は、福岡県今宿村(現福岡市西区今宿)で生まれた。高等小学校卒業後に地元で就職するも「東京で勉強したい」と、東京の親類に手紙で猛アピールし上野高等女学校に編入学。卒業後は親の決めた婚家を出奔、女学校の教師だった男性と結婚。2子を産んだが破局し、無政府主義者大杉栄と恋愛関係となって5人の子をもうけた。
 雑誌「青鞜せいとう」に参加し、平塚らいてうから編集と発行を引き継いだほか、評論を書き、男女の不平等や、貧しい家の娘が女工や女郎として過酷な生活を強いられる理不尽を指摘。関東大震災から2週間あまり後、戒厳令下の東京で、大杉らとともに28歳の若さで憲兵隊に虐殺された。
 青鞜 日本初の女性による女性のための文芸雑誌として、平塚らいてうが中心となり創刊した月刊誌。1911~16年に発行された。家父長制に抵抗したらいてうは、創刊の辞で「元始、女性は実に太陽であった」と唱えた。15年から伊藤野枝が編集兼発行人を務めたが、資金難などのため解散した。

 

 野枝と同じ福岡県出身の紅さんは82年、地元局制作のドキュメンタリー番組で野枝の四女、ルイズさんに話を聞いた。その準備のため調べた野枝の激しい生涯に衝撃を受け、以来、講談として語りたいという思いを温めてきた。
 日本は、男女格差を示すジェンダー・ギャップ指数の2023年版(世界経済フォーラム発表)で146カ国中、125位。今も女性が自由に活躍できているとは言いがたい。
 紅さん自身、「女のくせに」と周囲に反対されながらも進学のため上京し、講談の世界に飛び込んだ。わが道を貫き、文章で世の中を変えるのだという気概に満ちていた野枝は憧れだ。「あのエネルギーを、今の女性に学んでほしい」。もちろん男性にも、野枝の思いを理解して受け入れてほしいと願う。
 講談では、青鞜時代を中心に虐殺されるまでを描く。「創作だけど、できるだけ史実に忠実にしたい」。野枝の著作集や評伝などを読み込み、郷土史家にも話を聞き、イメージを膨らませた。「講談なら、30分くらいで一人の人生を語って聞かせ、印象に残せる。私が何に感動したか伝えられれば、きっと動かされる人はいる」
 創作講談「伊藤野枝」は、命日の16日に福岡市内で開かれる「伊藤野枝100年フェスティバル」で初披露。東京では28日、国立演芸場千代田区)での独演会で語る。入場料4千円。問い合わせはクロスポイント=電03(3405)4990=へ。


 かんだ・くれない 1952年生まれ。早稲田大商学部を中退後、文学座付属演劇研究所を経て女優の道に進むも、講談師・二代目神田山陽の語り口に魅了され、79年に入門。89年真打ち昇進。日本講談協会会長。医師の中村哲さんら、志高く社会に影響を与えた福岡出身者をテーマに、数々の講談を創作している。