ippo2011

心のたねを言の葉として

「遍路」

「遍路」      重見一雄


大島青松園(香川県

 

この地方では、農閑期になれば村外に出稼ぎに行くのが習慣であって、私も冬になれば毎年製材所へ働きに行っていた。そこで私はある寒い朝、焚火をして暖を取っていたところが、自分の知らぬ間に足に火傷をしていたのである。不思議なことにその火傷がなんらの痛疼も感じず、いろいろと手当をして見たがなかなか快くならなかった。

痛くないので初めの間は余り気にしなかったが、火傷が良くなっても火傷した局部のマヒがもとへ戻って来ないので、いささか不安になって、このことを母に話したところ、母も心配して医者に診て貰うことにした。

その頃私の家から医者のいる村までは、五里の山坂を越えて行かねば診察を受けることが出来なかった。そこで私は、母と兄に付き添われて五里離れた村医を訪ねたのであった。60ばかりの老医は、私を形の通りに診察をしてくれた。老医は暫くためらっていたが、あなたの家には悪い病気をした人はありませんかといった。

私はどんな病気でしょうかと聞いたところ、老医は言いにくそうにして、驚いてはいけませんが、あなたの病気は癩病でありますというのであった。


私はその時初めて、私の家で昔永い間患ったへんろの病と同じ病であることを知ったのである。私は前途が真暗になり生きる希望を亡くしてしまった。それから後は死ぬことばかり考えて、自殺の機会をねらったが、その都度失敗に終わった。

私の病のために母の苦労は痛ましい限りであった。人が良いということは何でもやってくれた。また私の病につけこんで、毒にも薬にもならぬ何か動物の肝臓のような物を持って来て押売りする、オケ(こじき)へんろも度々やって来た。

母はそのへんろの甘言にのって、方々から金を借りて来てはその金を巻き上げられるのだった。また祈祷師にだまされて金をとられることも度々だった。更にはらい病にはもぐらが効くとどこからか聞いて来ては、畑からもぐらをとっては太い竹の筒に入れ、それを糞壺の中へ差し込んで、腐らせたその汁を私に飲めといい出すのだった。

私はこの母の真剣な願いをしりぞける勇気がなく、胸の中で泣き泣きその悪臭ぷんぷんとするもぐらの汁を目を閉じて一気に飲みくだしたのである。母はこうして私のためにいろいろと迷い、貧しい家財をなくしてしまい、もはや施す術がなくなり、私に四国巡拝に出るようにとすすめるのだった。


田舎生まれの私は四国へんろに出ることを、海外旅行でもするように、死を決意して家を出た。家を出たその日から野宿を覚悟の私は、小さな鍋と夜具を用意して、弱い体にそれらを背負ってへんろの旅にのぼった。

雪の降る寒い夜に橋の下で寝たことも数知れず、お宮やお堂に休んでいて叩き出されたこともあった。こうして2回、3回と巡拝を続ける間に、病は悪化するばかりであった。

こんなに野宿をして四国巡りをしなくとも、早く療養所へ入ればよいのだが、療養所から脱走してきた病友の話を聞くと、その頃の療養所の生活はあまりに悲惨であり、どうしても入所する気にはならなかった。あんなところへ行くくらいなら、たとえのたれ死んでも社会にいる方がよほどましだと考えていた。

その頃四国は癩病者を狩り集めて強制的に療養所へ送っていた。そういう時には、私たちは、山の奥の方へどんどんと逃げ込んだ。巡査を見れば鬼のように恐れて逃げ回り、駐在所の前を通るときなど足音をしのばせて通り過ぎた。巡査に見つかったが最後、否応なしに手錠をはめてでも療養所へ送られるというのだった。


秋の大演習が終わった頃は、もう高い山には雪をみ、農家の取入れも済んで田圃には人影もなく、御山颪が身を切るように冷たかった。私はお修行をしながらある農家の前に佇った。中年の婦人が何か忙しく働いていたが、私を見るとすぐに仕事をやめて手を洗い、お盆に白米を盛って私に施してくれた。私がそのお米をいただいて、その家を立ち去ろうとしたとき、「ちょっと」とその婦人に呼び止められた。

私が「何か御用ですか」と 問うと、その婦人のいうのに「実は今年7歳になる私の子供が、ふとしたことで3歳の時から脚が立たなくなり、医者にもかかりいろいろと治療して見たがすべて思わしくなく、座ったままで一歩も歩くことができない。実はある人から聞いたのであるが、お四国巡礼するおへんろさんの観音さん(虱のこと)を煎じて飲ませれば、子供の足が治って歩けるようになると教えられた。この子を助けると思って、おへんろさんに観音さんがついていたら一匹頒けて下さらないか」と哀願するのである。

この婦人の吾子を思う真剣な願いに、私はかつてのわが母の姿を思い浮かべ、何ともいいようのない悲しさを覚えた。私は応えようがなかった。虱が薬になるなんて信じられないことであるし、それよりも万一、薬になるとしても、らい者の血を吸った虱を、他人の子供にのますということは何としても良心が許さなかった。私はこの婦人に失望させぬようにと思い、「折角ですが実はついこの前善根宿をいただいた家で衣類を全部きれいに洗濯してもらったので、虱は一匹もいません。まことにお気の毒ですが・・・」と、ていよく断ったのだが、「お寒いとき真にご迷惑でしょうがちょっと肌著を見せて下さらないでしょうか!」と食い下がられ、これ以上断ることもできなくなり、「それではちょっと調べてみますから」と、門前で着物を脱ごうとしたら「そこでは人目もあり寒いから」と、私は家の中へ連れ込まれた。

婦人は待ちかねたように私の着物を取り上げ、たんねんに調べにかかった。やがて婦人は一匹の虱を掌にのせて、万金を得たように涙して喜ぶのだった。私は妙な気持ちになり、別れの挨拶をしてその家を出ようとしたところ、今晩は是非泊まって行ってくれという。私はいろいろと断ったが、なかなか許してくれないので、遂に一晩泊めてもらうことに決心した。

(つづく)

 

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