ippo2011

心のたねを言の葉として

馬場あき子(歌人)当時17歳・東京 専門学校1年

「あの日 昭和20年の記憶」11月23日 (NHK出版)
馬場あき子(歌人)当時17歳・東京 専門学校1年

 

 秋になると、払い下げの兵舎を教室にする作業をやらされた。二段ベッドをやっとこや金槌で叩いて壊す。それはそれはたいへんなもので、ズボンやモンペをはいた女学生が、足を上げて板などを引き剥がす。そうすると南京虫が隙間なく並んでいる。もう秋なのであまり活動しなくなって、越冬のために張り付いている。それを払い落として、箒で集めて捨てる。

 

 そこに小学校から椅子をもらってきて並べるが、まだ机がない。本当の勉強が始まる始業式は11月の9日になった。小春日和の時には、どこに潜んでいたのか、南京虫が前に座っている人の背中を這って行く。襟元まで行ったらパッと鉛筆で落として、足で踏んづけて潰す。

 

 ただ、その頃とてもよかったのは、兵隊さんが入っていたお風呂があった。解体工事して山のようにあった材木で炊いて、学校が学生に風呂を提供してくれた。放課後になるとみんな家には風呂がないので入場券を渡して、お風呂に入ってさっぱりして帰る。

 

 大きい駅にはアメリカの衛生兵がいて、頭から、襟元から噴射機でDDTをかけられて、消毒したという証拠のハンコを押される。次の駅ではハンコを見せるが、見せなくても、頭が白いからすぐにわかります。(抜粋)