ippo2011

心のたねを言の葉として

1950年マッカーサー「年頭の辞」

1950年マッカーサー「年頭の辞」



このなかで、マッカーサーは、「戦争放棄を宣言した日本の憲法は高い道徳的理想にもとづいたものであり、かつ実行可能なものである。しかし相手から仕かけてきた攻撃に対する自己防衛の権利を否定したものではない」旨を述べたのである。一方では、憲法戦争放棄を「道徳的理想」と持ち上げながら、他方では「自衛権」を肯定する憲法解釈を提示している。声明では「自衛権」という言葉が、軍事力を指すのか、外交手段等を意味するのかははっきりしないが、後に一定の軍事力を含む概念として提唱されていたことが明らかになる。

(中略)

アメリカが、憲法解釈、特に第九条の解釈を微妙に、しかし、着実に変更したことは、日本側に憲法が政治の産物であることをあらためて認識させたのである。これまで、憲法は、GHQの威光によって不動のものに見え、抽象的に憲法の精神を礼賛するか、曖昧な言葉遣いで自己流解釈をすべりこませるかであった。しかし、アメリカの国益によって憲法解釈が動くことがはっきりしたのである。

 

(『憲法とジャーナリズム』有山輝雄 p209)