〈社説〉治安維持法の埋み火 再び燃え上がらせぬために 【憲法の岐路】
2025/05/03 信濃毎日新聞
袴田巌さんが再審で無罪を得たことを機に、国会が議員立法による再審制度の改定に動いている。無実の訴えは60年近くに及んだ。不備があらわな制度をこの上、放置してはならない。
加えて見過ごせないのが、憲法による人権の保障と乖離(かいり)した刑事司法のあり方だ。戦時下の刑事手続きがいまだその原型をとどめ、冤罪(えんざい)を生む素地となっている構造自体を問い直す必要がある。
■ 「検察司法」の極限
戦前、裁判所と検察はともに司法省に属した。司法相には多く検察出身者が就き、検察の優位は歴然としていた。刑事司法を検察が支配する「検察司法」は、治安維持法の下で極限に達する。法を運用して思想犯の処罰にあたる思想検事がその中核に位置した。
1925年に成立した治安維持法は41年、太平洋戦争の開戦に先立って全面改定される。国体の変革を目的とする結社に加え、それを支援、準備する動きに法の網をかぶせ、目的遂行のためのあらゆる行為を罪に問うことで、処罰の対象を限りなく拡大した。
同時に、厳重な取り締まりと迅速な裁判のため、刑事手続きについて新たに規定を置いている。旧刑事訴訟法で、被疑者の勾留、尋問といった強制処分の権限を持つのは裁判官だったが、検察にその権限を与え、捜査段階の供述調書に証拠の能力を認めた。
それは、拷問によって自白を引き出す取り調べを常態化させ、一段と苛烈な思想弾圧を引き起こすとともに、あまたの冤罪を生む。時を置かず戦時特例の刑事手続きは拡大され、翌42年の戦時刑事特別法は、全ての事件で供述調書の証拠能力を認めた。
■検証なされぬまま
敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の指令で治安維持法は廃止されたが、戦時下の刑事手続きは一掃されるどころか、一般化する形で受け継がれる。捜査機関は、戦時にも認められなかった全ての事件での強制処分権を手にして、むしろ権限を強めた。
治安維持法を支えた組織と人も命脈を保った。特高(特別高等警察)は、GHQ指令による解体からほどなく公安警察に再編されていく。罷免、公職追放されていた関係者の多くが、東西冷戦による米国の対日政策の転換を追い風に公安部門に復帰した。
思想検事は中枢の一部が追放されるにとどまり、しかも解除後に最高裁の判事や検事総長に就いた例が目に留まる。41年の治安維持法の改定を司法省の刑事局長として主導した池田克は、54年から63年まで最高裁判事を務めた。
「池田を抜きに治安維持法を語ることができない」。憲法学者の故奥平康弘さんは著書「治安維持法小史」で述べている。思想弾圧の最大の担い手が最高裁判事として復権する構図は、戦後の刑事司法が戦時下と地続きであることを浮かび上がらせる。
戦後の現憲法は、人身の自由を確保するため、適正な手続きの保障をはじめ、刑事手続きについて手厚い規定を置いた。しかし、治安維持法下の刑事司法の検証はなされず、憲法に沿った刑訴法の根本的な見直しは棚上げされたまま現在に至っている。
刑事裁判は本来、法廷でのやりとりを主体とし、捜査機関が取り調べで得た供述調書は、証拠にできないのが原則だ。にもかかわらず、実際には例外として広く認められ、それが自白を偏重する捜査につながってきた。
■強まる監視と抑圧
身柄の拘束を解かずに自白を迫る「人質司法」の悪弊はなお断たれず、黙秘する意思を示しても、取り調べには応じる義務があるとする捜査の実務が定着している。憲法が保障する人身の自由や黙秘権よりも、取り調べの権限が上位にあるかのようだ。
強大な権限を持つ捜査機関に対して、被疑者は圧倒的に不利な立場に置かれる。そもそも取り調べを目的として身柄を拘束することは認められないのに、捜査の都合や便宜が優先され、人権の確保がなおざりにされてきた。
治安維持法の制定から100年を経て、今また新たな治安法が次々と姿を現している。共謀罪法は言論や思想の弾圧に道を開きかねない危うさをはらみ、治安維持法と重なり合って見える。
機密情報の漏えいや取得に厳罰を科す秘密保護法制は、経済安全保障の名の下、産業・経済の分野に枠を広げた。この国会で審議されている能動的サイバー防御法案は、政府にネット空間の通信を常に監視する権限を与える。
法の後ろ盾を得て公安警察や情報機関による監視と抑圧が強まる危険はもとより、刑事手続きが治安法の威力を増幅させる危うさに目を向けたい。そのことを戦時下の歴史は教えている。刑事司法のあり方を憲法に照らして点検し直し、治安維持法の埋み火を取り除かなくてはならない。