ippo2011

心のたねを言の葉として

「自閉症を持つ私から見た日常」

自閉症を持つ私から見た日常」


 大阪青凌中学校 3年
   藤田 壮眞


私は重度自閉症である。
いつも
叫び出したい衝動を感じている。
でも叫ばない。
叫んではいけないと学んだからだ。
この作文で私から見える世界を、
みんなに共有したい。


小学校は支援級に在籍していたが、
現在は中高一貫で少人数制の私立中学に通っている。
4歳の時に注意欠陥多動優勢の
自閉症スペクトラムと診断を受けた。


小学6年生の時に身長が止まり、
成長ホルモンを毎日注射している。
身長は146センチで、
15歳男子平均より20センチ以上低い。
家族とファミリーレストランに行くと、
店員が「子供椅子はいりますか」と
笑顔で聞く。
耐える私に、
今度はキッズメニューを差し出してくる。
見た目で
判断しないでください。
そう伝えたいけれど、
見た目で子供なのだから、
店員を責められない。
やりどころの無い怒りを抱えて
私は黙る。


私は授業中によそ見をしてしまう。
宿題のお知らせを聞き逃し、
やってこない。
不真面目で意欲を持っていないと
評価される。
悲しい出来事で、
何度も泣いた。
真面目に授業を受ける気持ちで
座っているが、
教室はその気持ちを阻む、
様々な情報であふれている。
クラスメイトの動きや
きぬ擦れの音が
とても不快な音で
ジャリジャリと聞こえる。
ノートの上を動く
シャープペンシルの音は
不協和音で合奏している。
エアコンの音が
ごおごおと鳴り、
隣の教室からも
似た物音が聞こえてくる、等々きりが無い。
私はいつも
叫び出してしまいそうで、
疲れ果てている。
先生の声は、200メートル先の、
遠くのトンネルの向こうから聞こえる感じで、
なかなか拾えない。


自閉症なのに
よく喋(しゃべ)ることが出来るね、と
言われる事がある。
私は人と関わるのが大好きであるし、
お喋りも好んでする。
だがコミュニケーションが
しっかりとれているわけではないようだ。
私を母はたまにラジオと呼ぶ。
一方的に喋って
満足してしまうからだ。
人の気持ちを読み取るアンテナが
通常なら5本立っているならば、
私は
1本しか立っていないからだ。
私は
自分の気持ちも分からない。
心を自分に感じない。
だけど、
相手を泣かせた時は、
私の目から涙が出てくる。
悲しい気持ちだと
教わるけれど、
なかなか
つかむことが出来ないでいる。
自閉症の子供が産まれて、
悲しむ家族もいるだろう。
でも私達は学ぶし、成長する。
人の気持ちが分かりにくいけれど、
人が嫌いではない。
小学校では床で寝転んでいたが、
今は椅子に座り、必死に勉強している。


私達には
みんなと同じだけの未来があり、
期待を持っている。
私が間違った時は、
あきらめないで教えて欲しい。
私もこの困難な世界に向き合い、
痛みを知っているぶんだけ、
弱さを持っているぶんだけ、
他の誰かに
優しくなれる大人に
なりたいと考えている。