『この人類史的危機は人類史の終焉なのか、人類史的転換の契機なのか』
2021年12月19日(日)
早稲田大学「内海先生のドロップアウト塾」
第2期第6回講義(今期総集篇)
所感 山添 剛(運営委員)
*本投稿(「所感」)は内海先生の講義を受けて私個人が感じ、考えたことを書き連ねたものであり、運営委員による公式見解ではございません。あくまで一個人の意見としてお読みいただければ幸いです。
先生は、5年前にあの産経が、論説「人類は30年以内に滅亡する」で、人類が高度に発達した情報科学技術によって滅ぶと訴えたことを、重視する。以前、先生が講義で取り上げた監視資本主義は、支配層側にまで脅威となっていると考えて良い。
私たちはスマホで、ノートパソコンで、WEBやアプリ(今はオンラインアプリになっていて、さらに危険が増している)や視聴覚機能を通じ、自らの位置情報、購買行動、嗜好情報などをGAFAに把握されており、それが彼らのAIによる監視、分析、統制につかわれているということを、念頭に置くべきである。
また、これはオンラインで仕事をしている自分の実感なのだが、オンライン化によって、人類が言葉や思考を失いつつあることも、憂慮すべきであろう。WEBビジネスでは、誰でも簡単に読め、理解できるように、文字数をできるだけ少なくし、かつ平易な言葉だけを使うよう要求される。それが「WEB上での正義」の名のもとで正当化されて、言葉の簡易化・画一化が急速に進められ、思考の簡素化、感覚の優先化か育てられているのである。
そうした、環境破壊と監視資本主義による人類の破滅が急ピッチで加速しているなか、これまで日本で追及されてきた、偏狭な専門性に閉じ籠る閉塞的で硬直した思考では、根本的な事態の打開をいささかも期待できないことは、先生が今季の各講義で何度も強調してきた通りである。
先生が話されたように、冷戦時、機器の誤作動などによって敵からの「架空の核攻撃」を感知するという、核戦争の危機がこれまでに何度もあった。その時、人類の命運を握ることになった人間が、先述した「偏狭な専門性に閉じ籠る閉塞的で硬直した思考」の持ち主であったなら、どうだっただろう。考えてもゾッとする話であるが、当時よりも格段に各分野の専門性特化が進んだ現在の方が、そうした危険が増していると言えるのではないか。
他方で、先生の恩師やご友人には、芸術家で大学教授で建築家だったり、シャーマンの家系で芸術家で……と、「マルチ」「多分野」で活躍されている方が多い。専門に特化していった人間は、変化に多角的・柔軟に対応ができない硬直した思考と行動で、やがて限界に突き当たる。端から「専門性」や「フィールド」にこだわらず、いや、そんな概念の存在すら一笑に付す人たちこそが、21世紀に人類史の革命家となるのではないか。
私たも彼らに遅れぬよう、マルチに活躍とまで言わずとも、多角的な知見と知恵を持てるよう、先生から学び続けていきたいと思う。