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心のたねを言の葉として

世にも不思議な物語 鎌田慧

世にも不思議な物語 鎌田慧

 

2024/11/5 東京新聞

 


 60年前、浦和地裁で死刑判決を受けた石川一雄さんは、自分の運命に降りかかってきた「死刑」よりも、その日の巨人戦の勝敗の方に関心があった。殺人などやっていなかったので、なんの恐怖もなかったのだ。
 石川さんは、無知と言うよりも警察官を信じすぎた。狭山市の女子高生殺人容疑の別件逮捕から自供まで、取り調べの刑事から、働き手の兄を逮捕するぞと脅かされた。罪を認めれば10年で釈放するなどと、赤子の手をねじるように密室で籠絡されていた。空腹に耐えかねて畑の作物を齧(かじ)った罪の意識が強かった。
 被差別部落に生まれた石川さん。家計は就職差別で苦しく、識字の教育も受けていなかった。狭山事件は「身代金要求の誘拐犯罪」を偽装した殺人事件だが、文章で他人を脅迫しようと、非識字者が考えるとは、刑事や検事、裁判官のあまりに荒唐無稽な想像だ。
 漢字を意識的に誤用している脅迫状の作為性に、国語学者大野晋さんや大江健三郎さんも疑問を呈した。さらに重要な証拠の女子高生の万年筆が石川家から発見されたが、インクの違いが化学的に証明されている。
 11月1日。東京高裁・寺尾判決50周年の集会が日比谷野外音楽堂で開かれた。石川さんは最近、足腰が弱くなった。「袴田無罪判決の次は狭山です」と、袴田ひで子さんが力をこめて発言した。(ルポライター)