ippo2011

心のたねを言の葉として

日本国憲法が施行された1947年の5月3日、その前日の5月2日に天皇の最後の勅令で(朝鮮人や台湾人を外国人とみなすという)「外国人登録令」が出されました

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あの時代を取りこぼさずに描いた

もう1つ、安田さんが特に心に残ったというシーンが、戦後の闇市の様子を描いたシーン。夫を戦争で亡くして失意の底にいる寅子に声をかける焼き鳥の屋台の女将を、在日コリアン3世の俳優・金民樹さんが演じました。

闇市に来た寅子

ドラマの中ではすごく大事なシーンじゃないですか。夫の優三さんを亡くした寅子が「悲しみに向き合ってきなさい」とお母さんから言われて、闇市に行って。でも、どうしても一人では焼き鳥を食べることができなくって、で、その場を去ろうとした時に闇市の女性が追いかけてきて、焼き鳥を新聞紙に包んで渡す。戦後の闇市はやはり在日コリアンの人たちが生き抜いてきた場だということは、あのドラマのあの描写から想像したんですよね。私の祖母も、東京ではなくて神戸のほうなんですけれども、戦後まもなく闇市の近くで暮らしていた形跡があるので、ああいうことしていたのかなと想像しながら見ていました。


寅子は川辺で焼き鳥の包みを開いて、その包みになっていた新聞で新しい憲法と出会うわけですよね。特に「法の下の平等」をうたった第14条という「翼」を戦後に最初に寅子に授けたのが、朝鮮の女性だったかもしれない、という導きに私はすごく心が震えました。


でも同時に、何であの闇市憲法が書かれた新聞がグシャグシャと包み紙の扱いをされていたんだろうかということも、ちょっと想像し過ぎかもしれないですけど、考えました。もしかすると、そこで一生懸命働いている人たちは、学ぶ機会がなくて字が読めなかったのかもしれません。


日本国憲法が施行された1947年の5月3日、その前日の5月2日に天皇の最後の勅令で(朝鮮人や台湾人を外国人とみなすという)「外国人登録令」が出されました。植民地支配で一方的に「日本国民(臣民)」とされた人たちが、今度は一方的に日本国民の枠から出されていく。その翌日に施行された憲法の「すべて国民は」の「国民」から除外されていくわけですよね。で、その国民という枠組みから除外されたことによって、さまざまな社会保障の制度からも弾き出され、自分で何とかするしかありませんでした。病気になろうが、生活に困窮しようが、自らでなんとかするしかなかった。

―そうした背景も考えたときに、闇市の女将を在日コリアン3世の方が演じたことの意味を、安田さんはどのように捉えていますか?

安田さん

戦争というものが大事な人たちを奪ってしまう、とても悲惨なものだったということは間違いのないことです。戦争で受けた被害はもちろん顧みられなければならないことですが、でもあの時代を語るのって、それだけじゃないよね、ということをちゃんと取りこぼさずに描いた、ということだと思うんですよね。


空襲の被害があった、大切な人を亡くした、戦地に送られた人たちがいた、大切な人たちを奪われた人たちがいた。それもとっても大事なところです。でも、例えば植民地支配の被害を受けた、そして戦後は社会の中にある種、放り出されてしまった人たちがいた。そうしたことも含めて、あの時代だよねということをちゃんと取りこぼさず描いた。あの時代を単に単純化して、わい小化して語らないぞという、ある種の決意のように感じました。