ippo2011

心のたねを言の葉として

関東大震災の二日後 『甘粕大尉』

   遠藤がようやく鴻ノ台に辿り着いてみると、隊は朝鮮人討伐に出ているという。とんでもない——遠藤はうなった。ここまでの長い道中で、避難民の間に流れる朝鮮人暴動説は遠藤の耳にもたびたび聞こえていた。だが彼自身が朝鮮人の不穏な行動を見たことはなく、人々の言葉にも体験談、目撃談は一つもなかった。単なる流言ではないか——と遠藤は強い疑問を抱いていたが、やがて帰隊した兵たちは「朝鮮人を何人殺した」「いや、おれはもっと……」などと自慢し合っている。
 真相をつきとめねば、と思っている矢先、遠藤にも出動命令が下った。 (中略)
 江東地区の警備に出てからも、遠藤は避難民への食糧確保に当るかたわら、朝鮮人についての情報を集めて歩いた。誰もが暴動説を信じておびえているが、直接被害を受けたと語る者は一人もない。
 この噂は初めからおかしい――と遠藤は改めて考えた。大地震は誰にとっても寝耳に水の出来事であった。何の備えもなかった東京市民の多くが死傷し、すべての通信網が破壊されたため、焼け出された人々の中には今も家族との連絡がつかず、安否を気づかって焼け跡をさまよう者もいる状態ではないか。
 同じ条件の下で、朝鮮人だけが緊密に連絡をとり、二百人とも三百人ともいわれる隊を組み、武器弾薬を持って襲撃して来るなどということが可能だというのか。彼らだけが九月一日の地震を予知し、その時を期して暴動を起こそうと秘かに武器弾薬を貯蔵していたとでもいうのか。朝鮮人が井戸に毒物を投入したという噂に、人々の恐怖と憎悪はいっそうかきたてられているが、いったい誰が、いつから、どこに多量の毒物を隠匿していたというのか――。
                    (『甘粕大尉』 角田房子)