ippo2011

心のたねを言の葉として

原発事故も、水俣病も、地域に差別と分断を生んだ

原発事故も、水俣病も、地域に差別と分断を生んだ…<あすを舫う 水俣と福島(上)>

 河北新報

https://kahoku.news/articles/20240722khn000051.html

 

公式確認から68年を迎えた水俣病は、大企業の経済活動に端を発し、環境汚染や差別、住民の分断を招いた。その構図は、東京電力福島第1原発事故と酷似している。水俣では人々の絆をつなぎ直す「もやい直し」という概念が生まれ、教育現場では水俣病をどう語り継ぐか、今なお模索が続く。水俣を訪れ、福島の明日を探った。(佐々木薫子、高橋葵、中村楓)

 

 [水俣病] 熊本県水俣市チッソ水俣工場からメチル水銀を含む廃水が流され、汚染された魚介類を摂取した住民らに手足のしびれや言語障害などが生じた。1956年に公式確認された。法律の認定制度に基づく患者数は2022年11月末時点で3000人。市内では1990年ごろに人と人、自然と人との関係をつなぎ直す「もやい直し」という概念が生まれ、対話や環境再生に関する取り組みが行われている。

 「差別と分断、水俣と同じことが繰り返されている」。熊本県水俣市水俣病資料館で語り部支援員を務める長迫由希子さん(45)は13年前、福島第1原発事故を巡る報道にやるせなさを募らせた。

 避難先で「放射能がうつる」といじめられた子ども。福島県外の飲食店には「福島県民お断り」と紙が貼られた。

 怒りが湧いた。半面、自分へのもどかしさもあった。「ずっと水俣病と向き合う勇気と覚悟が足りなかった」。長迫さんは反省を込め、自らの過ちと水俣病の歴史を振り返る。

 「水俣病はただただ嫌なものだった」。原因企業チッソに勤めていた長迫さんの祖父は水俣病のニュースがテレビで流れるたび、「見るもんじゃなか」とチャンネルを変えた。患者と無意識に壁をつくるようになった。

 病は患者をさいなんだだけではなく、地域に埋めがたい溝をつくった。チッソと住民が激しく対立。住民同士も補償の違いや病気に対する偏見で反目し合った。

 小学校で教師に「出身が水俣と知られたら差別を受けます」と言われたのが忘れられない。水俣病に関して「言えない気持ち」を引きずっていた長迫さんを変えたのは8年前、ある70代女性の語り部の告白だった。

 女性の父はチッソ社員、祖父は漁師。共に水俣病になり、長い闘病の末に亡くなった。昭和30~40年代、水俣病は「伝染する」「遺伝する」と誤った認識がまん延。身内に患者がいるだけで結婚や就職で差別された。女性は自宅に友人を呼べなかった。

 1990年代、地域を覆う対立を対話に変えようと「もやい直し」が提唱された。女性は学びを通して過ちに気付き、語り部となった。「私は父や祖父、患者を差別していた」。同じくチッソ社員を家族に持つ女性のざんげに、長迫さんは自らを重ね、深く不明を恥じた。

 熊本県教委は2011年度、県内の全小学校を対象に「水俣に学ぶ肥後っ子教室」を始めた。水俣病を学ぶ機会を確保するのが狙いだ。

 今年2月の水俣病資料館、胎児性水俣病で言語に障害のある60代の男性患者が、同県上天草市の小学5年生にとつとつと言葉を絞り出していた。

 「中学を卒業した頃、兄の見合い相手が自宅に来ることになった」「父親から『お前は家にいるな、街で遊んでろ』と金を渡されて追い出された」。家族からも差別されたつらい記憶。男性の訴えに子どもたちは無言で聞き入った。

 地元の水俣高では全員が水俣病を学ぶ。3年生の山下香澄さん(18)は「知るのを面倒だと思えば悲劇は繰り返される。教訓を発信しなければ考えない人が増える。それが怖い」と語る。

 福島では児童生徒が原発事故や放射線を学ぶ機会は各学校や教員の裁量に委ねられ、全県的な取り組みには至ってない。長迫さんは強調した。「子どもの時に本当のことを教えてほしかった。無知が差別と偏見を生む。水俣の歴史を福島はどうか参考にしてほしい」

 

まずは事実に向き合え

福島大教授 後藤忍さん
 水俣病を含む公害や戦災の地には「語られないフェーズ(局面)」がある。互いの関係を壊すことを恐れ、話題にするのはあまりにも生々しいと感じる期間だ。東京電力福島第1原発事故に遭った福島では、市民と東電が同じテーブルで議論するのは難しい。

 教材では原発事故の実態や深刻さを伝える記述が減っている。教育が原発の「安全神話」に加担したことを鑑みれば、行政に都合の悪い情報が隠される事態は二度とあってはならない。

 原発事故の教訓をどう捉えるか。責任はどこにあり、何に失敗したか。結論を出す以前にまずは事実に向き合わなければ、地に足の着かない空虚な復興になってしまう。

 人々の記憶は消えゆき、復興が進めば原発事故の爪痕も消える。証言の記録や保存のほか、学びの拠点の連携を深め、後世に活用してもらう方策を考えたい。