ippo2011

心のたねを言の葉として

満州が岸信介を育てた

満州岸信介を育てた

 二・二六事件の直後、岸信介満州にわたった。満州関東軍と結びつきを深め、約三年間、国家主義的な統制経済を指導する官僚として辣腕を振るう。岸は満州で、優秀な官僚から、「立派な政治家」になったと原彬久は『岸信介 -権勢の政治家―』に書く。

 そして、岸のカネの力を伝えるものとして、甘粕正彦との次のようなエピソードを伝えている。

 

岸が甘粕をのちに(昭和十四年)国策会社満映満州映画会社)の理事長にすえたことからもわかるように、岸と甘粕は満州で終始一貫親密な関係にあったことは事実である。古海忠之はこう回想する。「たとえばこんな話がある。甘粕正彦の排英工作……、要するに特務だな。この甘粕のために岸さんが一〇〇〇万円つくってやったことがある」(『新版・昭和の妖怪 岸信介』)。「一〇〇〇万円」といえば、少なくともいまのおよそ八五億円にはなるだろう。古海が甘粕のこの資金調達依頼を岸に取り次いだところ、岸は、それくらい大したことはないといって、あっさりその場で引き受けたという(同書)。

 

 関東大震災の混乱の中、無政府主義者大杉栄らを殺したとして懲役刑を受けた甘粕正彦。フランスへの逃亡生活の後、満州国皇帝に担ぎ出された溥儀の警護役のリーダーとして姿を現す。その後、満州で情報・謀略工作活動をおこなったとされる。アヘンがらみのカネを操り、「満州の影の帝王」といわれた。甘粕正彦岸信介の黒い噂は、満州国の闇を思わせる。