ippo2011

心のたねを言の葉として

戦争孤児たちの遺言

「犬を見て犬に教えられたんですよ。残飯食べる時、犬は上えの方から上手に食べるんですよ。我々は持ってつかんで、下から持ってくるから、下の方が痛んでるから、どうしても痛んでる方、食っちゃうんだよね。本当の犬はりこうだから上の方だけ食べる。それをまねして上の方だけを食べたけで、それでも腹痛はしじゅうやってました」

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残飯をあさる他、「浮浪児」が生きていく手段は物乞いをすること。中には、靴磨きの商売を始める子どももいた。新聞を仕入れて路上で売る少女たちも。自らの力でたくましく生きた浮浪児たち。その一方で、スリ等の犯罪に手を染める子も。街にあふれる浮浪児は不良少年という目で見られ、世間からきらわれていった。

 行政は強制手段に出た。

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街にあふれる浮浪児に対し、強制手段に出た。それは〝刈り込み〟浮浪児を街から根絶せよと、いやがる子どもをつかまえ、脱げないよう服をぬがせ、いっせい収容した。これは東京都養育院に入れられた浮浪児たち。栄養失調でお腹かがふくれ、あばら骨が浮き出るほどにやせ細った姿。
 自由を奪われた彼らは職員の目をぬすみ脱走を繰り返した。

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ボランティアで収容された子どもたちを慰問した森田みどりさん(87歳)
「覚えているのは子どもたちの顔だけなんです。土色の顔をして、とにかく笑いもしないし、しゃべりもしない、にらみつけているような子どもたち。その顔はとても印象的で」

山田清一郎さん
「つれてかれると全部裸。おまえら黴菌の塊だなんて言って、寒くてもなんでも水道の水をじゃーじゃーかけて、きれいにして。もう暴力は当たり前って感じだよね。運悪く捕まる、連れて行かれる、ほうりこまれる。なにしろまた飛び出して逃げてくる。そんな繰り返しがあったね」

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刈り込みの目的は街の浄化と犯罪の防止
職員はいやがる子どもたちを捕え連行した
戦後、5年が経過し働ける歳になると浮浪児たちは少しずつ街から消えていった。
 同じ戦争孤児でありながら、知らなかった浮浪児の存在。

金田さんは思いを強くした。

学童疎開は子どもたちの命を守ったかってね、私たちは言いたいわけですよ、孤児にされた者たちにとっては。私たちは親たちと死んでいたほうがよかったんですよ。一人生き残されるぐらいだったら、命を助けたってことにならないんですよね」

 

NNNドキュメント
「戦争孤児たちの遺言 地獄を生きた70年」

放送日時  2015年3月23日 午前0:50~1:45