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心のたねを言の葉として

『カンダハール』     関川宗英

カンダハール』     関川宗英

                    2002年の日記から

                           

 

 

 『カンダハール』は果たして西欧側の映画なのか。それとも、アフガニスタンの内実を訴える映画なのか。
 アフガニスタン空爆を正当化する映画なのか。地雷で足をなくした妻に、ぴったり合う義足を持って帰ろうとする愛と平和の映画なのか。
 
 2001年10月、アメリカのブッシュ大統領が『カンダハール』を見たいと、当時この映画が公開され始めたフランスから英語字幕付きのプリントをホワイトハウスに取り寄せた。ブッシュは、この映画の何を見たかったのだろう。ブルカに抑圧された女性たちだろうか。あるいは、銃を手に学ぶ神学校の子ども達の姿だろうか。「テープレコーダーを捨てろ」という言葉に象徴されるタリバンの圧政だろうか。
 それとも、「あの石仏は破壊されたのではない、恥辱のあまり自ら崩れ落ちたんだ」と語ったマフマルバフのメッセージだろうか。バーミヤンの石仏を破壊したタリバンは国際社会から非難されていたが、マフマルバフは長い間国際社会がアフガニスタンを見捨ててきたことを「恥」と糾弾する。世界の富の59%を所有しぶくぶく太ったアメリカは、その「恥」の中心に位置する。
 
 おそらくブッシュの目に『カンダハール』は、アメリカの国益のそうものだったのだろう。今年の1月、アメリカで『カンダハール』は公開された。日本でも1月19日だったかに公開となった。折しも、東京で「アフガン復興会議」が開催される直前だった。『カンダハール』の日米同時公開と、「アフガン復興会議」の開催は、勿論偶然ではないだろう。
 日米公開の前、ニューヨークのコロンビア大学の「9月11日の犠牲者を悼む集会」で『カンダハール』が上映された。マフマルバフはアフガン難民キャンプの教育の現状を訴えているが、そんな彼のメッセージもアメリカのリベラル派を、“タリバン追放そしてアフガン復興”というストーリーに巻き込むことに一役買ったに違いない。
 
 
 

 『カンダハール』を観終わって、何か物足りないもの、中途半端な印象を持った。それは、国際社会から見捨てられた人々のために撮影されたとコピーにもうたわれたこの映画が、ブッシュの目にもかなうというところにあるのだろうか。ユネスコの職員たちからも、敗走したタリバンの兵士たちからも支持されるものを『カンダハール』は持っている。
 
 「世界貿易センターの二棟の高層ビルは誰が破壊したのでもない、恥辱のあまり崩れ落ちたのだ。」とマフマルバフの言葉をもじって細見和之は書いている。その一方で、細見は、映画『カンダハール』が全く別のコンテキストにおいて見られる可能性を指摘している(「図書新聞2570号 細見和之 理性の光を取り戻すため」)。
 
   合衆国による空爆が現に実施され、タリバン政権が「崩壊」した現在、
   この映画はまったく別のコンテキストに置かれている。とりわけ合衆国
   においては、タリバンの抑圧性をいち早く「告発」した映画として、あ
   たかも合衆国による空爆を正当化するものとして「鑑賞」される可能性
   をも内包しているのだ。このような途方もない転倒をはらんだ力学のた
   だなかで、いま『カンダハール』が上映されているということを、ぼく
   らは忘れるわけにはいかないだろう。(同論文より) 
 
 『カンダハール』はいかなる映画か。西欧側の視点から作られたものか、羊の糞を拾い集めて燃料にしているアフガンの人々の視点か。それは、あくまでも観る側の問題だ。監督の意図がどうであろうと、明らかなメッセージが込められていようと、観てしまった以上その映画とどう決着をつけるかはこちら側の問題だ。マフマルバフが商業的な計算もあって、あえて両面的な観方が可能な、「途方もない転倒をはらんだ力学」の映画を作ったとしても、ともかく観てから先は、こちらの「これから」にかかっている。
 
 今、タリバンが崩壊して、アフガニスタン復興計画が進みつつある。マスメディアにのって届くものは首都カブールのものばかりだが、国際支援団体と、金と、物資がカブールに集まっている。音楽を聴けるようになった、映画が観られるようになった、女性が学校に戻り始めたと、「新しいアフガニスタン」をマスメディアは伝える。
 しかし、まだまだ復興への道のりは遠いようだ。
 
 ドルの流入により既に国内通貨市場は混乱しており、価格が大幅に変動している。
 「急に101もの外国団体がやってきて、家を借り、カーペットを買い、ペンキで塗るなどして、全ての物価が跳ね上がった」、とカブールに本拠を置く『セーブ・ザ・チルドレン』の開発アドバイザーは言う。
 同団体のカブール事務所の家賃は9月11日以前は月500ドルであったものが、1月には6000ドルにもなり、別の場所への移転を余儀なくされた。(中略)
 ドルの流入と政治的楽観主義の復活が相俟って、現地通貨アフガニも9月11日以前の1ドル7万アフガニから3月には35,000アフガニにへと急激に強くなった。(後略)    〔2002年3月22日 BBCニューズ〕
 
 マフマルバフや主演のニルファー・パズィラは、『カンダハール』の公開にあわせて、世界を回った。今年の冬には日本にも来た。NHKにも出た。彼らの精力的な行動が、アフガンの復興に結びついていることは確かだ。アフガンの教育への援助を根気よく訴え続けるマフマルバフにとって、このBBCニュースのようなアフガンの混乱は予想していたことだろう。ペシャワール会の中村医師のように、元気よくまた映画を作って欲しいと思う。
 
 しかし、ブルカは美しかった。
 あの美しさは、銃より大切なものではないだろうか。
 この日本にいて『カンダハール』の、その最良の観方は、ブルカの美しさに感応することかもしれない。