ippo2011

心のたねを言の葉として

ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅦ「刑事ラヴァルダン」を観る聴く、    『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2018/9/21

ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅦ「刑事ラヴァルダン」を観る聴く、      『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2018/9/21

  お屋敷の食事、傲慢男と美しい妻、娘、そして、妻の兄の四人、一人厳しい表情の傲慢男である夫、そこに客が、男は妻に出ろと、あなたで無くてはと妻、やって来た村人に玄関先で対する夫、村で芝居が打たれる、主は屁を垂れたと、酷い題名の芝居、あなたにならば、止められると村人、時間をくれと夫、後でと、受け入れる村人、斯くて、海辺に裸の死体が、豚と罵りの言葉が背中に書かれて、裸の死体、誰の死、始まりのお屋敷の傲慢夫の死、主人公の刑事がこの街に、呼ばれて、駅に、迎える主人公の言葉で言うワトソン君、パトカーで、まずは死体の捨てられた場所、早速にマスコミのカメラマンの取材、煩わしいが、仕方ない、そして、遺族の館に、パトカーが遣ってくる、降り立つ主人公、館のガラス窓の内なる、未亡人、蝋人形の如くに、座り込んでいる、余りに美しく、生きているのか、死しているのか、気付いて、主人公とこの未亡人は知り合いなのだ、過去に恋した二人、館の中、そこには未亡人の兄も、彼もまた、過去の二人の関係から知り合っている、知らないのは、未亡人の前の夫との間に生まれた少女ばかり、これで、始まりの家族四人の関係が明らかに、しかも、兄の妻もまた死している、久しぶりの再会に語らう彼等、捜査なのか、再会の祝いなのか、この余裕、ドラマの余裕、主人公の余裕、全てはお見通しとばかり、帰ってくる少女、食事、少女は明日が早いとさっさと部屋に戻って、館の外に不審の若者、妻の兄が、合図を送る、主人公は気付いて居ながら、何も口出ししない、夜に娘は一人、部屋を抜け出して外に、主人公は兄のジャガーを調べ、封書を懐に、死した夫の部屋もまた探る、鍵を見いだし、隠し場所を探り当てていく、たこ糸を這わせて、なんのつもりか、だが、見事に若者が嵌まって倒れ込む、あの兄の合図した若者、芝居一座の座長、兄と若者の関係とは、この村での芝居を禁止され、隣町で芝居を打つ予定の彼等、芝居のリハーサル、冴えない、不可思議な舞台、座長が現れ、どうやら、ドラッグ、女、いろいろな関わりが彼にはと、主人公とワトソン君の捜査、斯くて、主人公は、娘が夜間に出向いたクラブに、クラブの長、ベッドの娘たち、主人公らが来たことを察して巧みに交わして、死した男の事も、曖昧に、若者たちの集まり、クラブでは、やはり、ドラッグが扱われて、夜のクラブ、スーツ姿の主人公とワトソン君、そこにはまた未亡人の娘が、追いかけて、海、廃船、男と会っている娘、果たして何者、遠く見詰める主人公、クラブに戻って、何やらあらためてクラブの闇のビジネスを探る、クラブの他に部屋があるのだろうと主人公、その部屋に、金庫の中、主人公の探し出していた鍵、開けると、テープ、未亡人の娘と殺された男の関係、欲望の男が娘を犯そうと、部屋の真上からのカメラ、拒む故にナイフで刺し殺してしまう娘、未亡人の兄が、詰まりは叔父が呼ばれて、二人で始末、この様子が、座長に観られたのだ、斯くて、未亡人の兄と主人公の語らい、娘の為にと、脅して金を手にしていた芝居一座の座長、ジャガーの封書は、叔父の用意した金、主人公の強引な言葉、取引、これまでの事を見逃す代わりに、何も口にするなと、犯人はクラブの支配人に、警察がクラブの長の元に押し寄せる、彼が逮捕される、ドラッグ、売春、この元締めの男が逮捕されて、しかし、この大岡裁きで良いのだろうか、真実は何処に、だが、誰も、疑問になど思わない、見事に、解決、解決にしてしまった、荷造りする主人公、屋敷の外に、相変わらずに、ガラス窓の中に、蝋人形のように、座っている未亡人、別れ、娘は主人公に感謝する、海の男は娘の実の父、未亡人の前の夫、この夫と叔父の妻が駆け落ちしたのか、叔父はホモセクシャルでは無かったか、叔父はなんにでも、成り代わるのだとも、変容の人、必要に応じて、ならば、娘を助けたのは、叔父で在り、主人公で在り、更には、この叔父が、未亡人の前の夫と己の妻とを、逃がした、生かしたのだとも、いやいや、この傲慢男の殺しもまた、叔父の采配、主人公が呼ばれたのも、その解決も、未亡人、娘、主人公、衣装、化粧、結構でした、ところで、未亡人の兄、彼のコレクションは、眼、己の工作で人の眼を作り出す、いや、実際の人の眼を集めていないか、眼のコレクションとは、見ることのコレクション、多様な視線を作り出す、犯罪者の目、少女の目、妻の目、刑事の眼、クラブのマスターの目、役者の目、監督の目、観客の目、私たちの視線も知らず此処に填まり込んでいないか、私の目も、私たちの目もあのコレクションの中に、在るのでは無かったか、此処に、映画に採集されてあることの自覚が私にあるかしら、その覚悟からしか、映画を生きられはしないのだが、